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「松田優作」並外れた役作り伝説とケンカ武勇伝

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1970~80年に放送された刑事ドラマ『太陽にほえろ!』の作中にて、「なんじゃこりゃぁあ!!」と叫びそして息絶えるという強烈なインパクトを与えた刑事柴田純(ジーパン)を演じた俳優と言えば松田優作。その屈強な肉体と鋭いまなざしに彫りの深い顔立ちに加え、何よりその独特の演技によって多くの人々を魅了した名優である。

彼の演技への徹底ぶりは凄まじいものであったと言われている。『太陽にほえろ!』にレギュラー出演として抜擢されたのも、文学座の稽古場での彼の演技に度肝を抜いたテレビドラマのスタッフによるところが大きかった。

その役作りは病的とも言えるほどのこだわりを見せており、中でも1980年公開の東映映画『野獣死すべし』のエピソードは強烈である。彼は役作りのために奥歯を4本抜歯、体重も10kg近く減量、更には声質も変え、長身を隠そうと猫背を通したという。また、彼の代表的な主演のテレビドラマ『探偵物語』では、一部の度を越した危険なシーン以外にスタントを使用せず、彼自身の抜群の運動神経を生かした。

レギュラー出演であった『太陽にほえろ!』では刑事役だったが、1974年公開の『あばよダチ公』では映画初主演に加えてアウトローな魅力を見せつけた。また、映画『暴力教室』(1976)ごろからアクション性が高まり、1978年スタートした遊戯シリーズ『最も危険な遊戯』『殺人遊戯』では、クールな殺し屋役で活劇映画に新風を吹き込むこととなった。

コミカル、情熱的といった陽のイメージからアウトローなどの陰のイメージまで、幅広くこなした人物であったと言えるだろう。しかし、そうした過剰な演技へのこだわりという面は、同時に彼自身の短気という性格も露にしており、実際に彼は喧嘩っ早いことでも有名であった。

納得がいかないこと、そして相手が理不尽な態度をとった際には、たとえ相手が監督であったとしても食って掛かり、殴ることも珍しくはなかったという。




喧嘩武勇伝とも呼ばれる彼の逸話は多く、原田芳雄の家にて桑名正博と殴り合いの喧嘩となり、優作が植木鉢を持ち出したところでとうとうとめが入ったそうだ。このような話は、業界の関係者どころではなく一般にも及んだ。佐藤蛾次郎と打ち上げをしていた店で、他の客がふざけながら「蛾次郎」と囃し立てたことで優作が激怒、その客へ殴りかかろうとしたという話も残っている。

さらには、北海道で友人と飲んでいた時、酔っぱらった優作がヤクザをにらみつけたことで喧嘩となった。2人組だったヤクザをぶちのめした彼らであったが、翌日から街ではヤクザがいたるところで優作たちを探しているというとんでもない状況となってしまい、友人のうち北海道に下宿していた1人はやむなく東京へ転居したという。

極真空手の経験があり、ボクサー型の体系であったことから凄まじいパンチの威力も持っていたという彼であるが、「空手2段」という情報は嘘であり、型を覚えた程度で道場に通うことをやめてしまったと言われている。ただ、喧嘩が強かったということは事実であったようであり、このことから周囲が空手の有段者であると言い出したのではないかとも考えられる。

なお、意外なことに高校時代は大人しく目立たないタイプの生徒であったと言われている。

トラブルも多かった松田優作であるが、その活躍が多くの人々を魅了した人物であったことに変わりはない。1989年に40歳という若さでこの世を去った彼であるが、その伝説の数々は現在もカリスマのごとく語り継がれるものとなっている。

【参考記事・文献】
松田優作
https://dic.nicovideo.jp/a/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E5%84%AA%E4%BD%9C
松田優作の喧嘩武勇伝と伝説エピソードは?
http://sanjayafans.com/archives/1669
松田優作、何がスゴいのか。日本映画界を駆け抜けた異端児の逸話と伝説
https://todorokiyukio.net/2020/01/13/875/

(ZENMAI 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)