2007年3月、千葉県市川市で英会話学校のイギリス人女性講師が殺害された通称「リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件(リンゼイさん事件)」が発生した。
彼女を殺害した本事件の犯人である市橋達也(当時28)は、2009年11月に大阪南港フェリーターミナルにて身柄を拘束されるまでの、およそ2年半に渡る逃亡生活を送った。彼が逮捕された11月10日は、俳優の森繁久彌の逝去と報道が重なったことも相まって、ニュース番組の視聴率が20%を超えるなど大々的な報道がされた。
市橋の逃亡経路は、北関東を放浪してから静岡に南下、青森まで北上するなど日本各地に及んでいた。その逃亡生活の中で、四国において遍路道を歩いていたこともあったが、逮捕後は晒しものになること、指名手配されている状況では自主しても減刑されないことを考えた末、図書館で調べた本を参考に無人島での生活を考え始めた。
結果、彼は沖縄県久米島の近くにある無人島、東奥武島(あがりおうじま)通称「オーハ島」にて潜伏生活を送ることを決意した。
オーハ島は、明治末期から入植がはじまり、最盛期には130人もの人々が暮らしていたという。しかし、島民たちの沖縄本島への転出が続いたことにより、市橋が島に侵入した際には70代の男性一人だけが生活していた。本島からフェリーで4時間ほどかかる距離に位置する久米島と奥武島は橋でつながっており、そこから歩いて渡ることのできる東奥武島は、目撃されることなく侵入することがたやすく格好の潜伏場所になった。
市橋がたどり着いた当時、島には70代の男性が一人だけ生活していたというが、彼は海岸近くのコンクリート製の小屋に寝泊まりし、魚をとって自給自足のサバイバル生活を送っていた。オーハ島で生活を送っていた彼は、時々現金収入を得るためにフェリーで大阪の西成釜ヶ崎とを4度ほど行き来するライフスタイルであり、結果的に3ヶ月もの間オーハ島で過ごしていたという。
サバイバル生活はすさまじく、当初は食料の準備をするものの、夜の海は暗黒に包まれ、魚も釣れないどころか海水から飲み水を作る方法もわからないままであった。その後、飲み水は隣島で汲み、釣りも潜水もマスターしたという。さらに、オーク島は毒蛇であるハブが多く生息していると言われており、なんと彼はサバイバル本をもとに毒蛇を食べる方法も得たという。
こうした彼の無人島生活を含めた逃亡の記録は、彼の手記として出版されることとなった。手記は増刷するほどに売れ、当の彼は懺悔の印として印税を被害者遺族に渡すことを望んでいたというが、遺族がこれに強い嫌悪感を抱いているということついては、もっともな反応であるとも言える。
市橋は、このような逃亡劇をはじめとしてその他にも特異的な事態を巻き起こしたことで知られる。逮捕直後には、ファンクラブがmixiで作成されるといった事態も起こった。こうしたサバイバル生活に対し注目を集めることもあり、追い込まれた人間の姿を見る点では興味深い事例とはなるが、彼自身がその身勝手さによって一人の人間を殺めたという事実そのものは決して忘れてはならない。
【参考記事・文献】
市橋達也被告が潜伏していたオーハ島って、どんな島?
https://npn.co.jp/article/detail/86362946/
逃亡犯が隠れ住んだ無人島に歩いて上陸「オーハ島」【久米島】
https://bqspot.com/okinawa/kumejima/734
市橋被告「毒ヘビも食べていた」 手記でロビンソン的逃亡生活を告白
https://www.j-cast.com/2011/01/25086447.html?p=all
逃亡犯が長期潜伏していた島は無人化目前の限界集落だった…「オーハ島」上陸記
https://deepannai.info/ohajima/#gsc.tab=0
(黒蠍けいすけ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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