ロックバンド『X JAPAN』は、1989年に「X」としてメジャーデビューをして以来、97年に一時解散してのち2008年に再結成がなされ、今なお人気の高いバンドとして活躍している。
その中で、ドラマー兼ピアニスト、プロデューサー、そしてリーダーでもあるのがYOSHIKIだ。元々クラシックを愛する少年であった彼は、母親と共に赴いたアメリカのバンド「KISS」の武道館公演を観たことで、誕生日プレゼントとしてドラムを買ってもらうほどロックに傾倒していったという。
日本国際博覧会「愛・地球博」(2005)で公式イメージソングの作曲を依頼されオーケストラ演奏の指揮を務めたり、天皇陛下御即位10年奉祝曲を作曲、そしてオーケストラとともにピアノ伴奏を行なう(1999)など、ロックの範疇に留まらず音楽家としてきわめて高く評価されている。
彼は、異様とも言えるほどに神経質かつ完璧主義者と言われており、一度完成させた作品であろうが少しでも納得がいかないとはじめから作り直すことがザラであるという。このため、新曲の発売延期は日常茶飯事となり、事実上凍結となっているプロジェクトも数知れない。ただ裏を返せば、それだけ自身の能力そして生み出す作品に絶対的な自信を持っていることの表れであるとも言える。
音楽家としてのプライドが垣間見える彼であるが、一方で今より若い頃の彼はトラブルメーカーとも言えるほどに数々の事件や奇行を起こしていた。
高校卒業に伴って、音大に進むことを蹴ってロックで飯を食うことを決意した彼であるが、激しいメンバーチェンジおよび過激なパフォーマンスから、出入り禁止となるライブハウスが増えていったという。インディーズ時代は居酒屋で暴れることで有名であり、一部居酒屋では出禁、無関係のバンドが居酒屋で打ち上げをする際には、「YOSHIKIという人はいませんよね?」とチェックする店も少なくなかったという。インディーズ時代の収入の殆どは、破壊した居酒屋の弁償で消えていったと言われている。
1986年から「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に”ヘヴィメタ界最高の男”ゲイリーヨシキとして出演しており、金髪で左半分が長髪、右半分が剃り上げで、自由の女神のようなトンガリに仕上げ、さらに5ミリほどの細眉を晒していた。爆音のメタル演奏で寝ているタレントを強制的に起こす企画「早朝ヘビメタ」では、たけし軍団と乱闘騒ぎになるほどであったという。
明らかに色物扱いであるゲイリーヨシキとしての出演は、関係者から「本人も赤面ものの黒歴史ではないか」とも言われている。ただ、当時に存在した周囲の音楽バンドがあまりにも”まじめ”にやっていたことから、反発心があったことは公言しており、実際に評論家から多く叩かれる中でますます反発精神を強めていったという。意外と彼の中では、バンド活動の新たな活路を切り開くためには体を張ることも辞さないという信念の一環に収まっているのかもしれない。
そうしたことの一因でもあるのか、彼にはいつも「破壊」が付きまとう。ドラムをあまりに強く叩くため、リハーサル段階でドラムスティックを何本も折ることはほぼお約束となっており、またテレビ番組の収録中ですら、披露中あるいは疲労後にドラムセットやスタジオセットを破壊することもあった。
破壊はものだけでなく彼自身の体にも表れている。自傷行為とも呼ばれるほどに激しいパフォーマンスやスケジュールによって、たびたび倒れては病院の世話になるため、いつ倒れてもいいように常に看護士が待機している状態であったという。彼を診る女性看護師からも体調にファンが生まれたという伝説まであるようだ。
そんな彼の伝説の中でも象徴的な事件が2つある。
1991年8月、彼は東京ドーム公演に向けてのリハーサルで行きつけのカレー屋からカレーを準備するようマネージャーに依頼、しかしいざ運ばれてきたカレーを食すや否や辛党の彼ですら気を失うほどのからさであり、これに激怒した彼はテーブルをひっくり返しリハーサルそっちのけで帰ってしまったのだ。
この話は、「カレーがからい事件」と呼ばれるほど有名となっており、注文の手違いによって数十倍からい商品が準備されてしまったと言われている。また、この噂では「公演をキャンセルした」という尾鰭がついている場合があるものの、キャンセルしたのはリハーサルだけであると本人は釈明している。
また、1995年にあるテレビ番組でYOSHIKI自身が語った話で、名カメラマン篠山紀信の撮影に誘われた際、撮影前はシャワーを浴びることが日課であったYOSHIKIが先方のシャワー室を借りることを前提に快諾したのだが、その時たまたま故障していたせいでシャワーから熱湯しか出ずに、結局帰ってしまったという。
通称「シャワーが熱い事件」として笑い話としても語られる話ではあるが、その後の彼の回想によると、あまりにも熱い温度であった為に軽いやけどを負った状態となってしまい、その体では撮影ができないと協議を経て決定した上でのキャンセルであったという。また、当時の彼はあまりにも多忙であり、スケジュールを合わせることが困難となり、結局撮影はその後も行なわれることがなかったそうだ。
20代の頃の彼は、あるイベントへ遅刻したことで布袋寅泰から激怒され、あろうことかそれに逆ギレし打ち上げ後には布袋の泊まるホテルにまで行き彼の名を呼び「出てこい」と叫んでいたというエピソードもある。
現在のクールさからは想像もつかないほど、まさしく怖いもの知らずであったとも言える彼であるが、これほどに「伝説」と称されて語り継がれているのは、それに裏打ちされた相応の素質と才能があってのことなのだろう。
【参考記事・文献】
YOSHIKI
https://dic.pixiv.net/a/YOSHIKI
YOSHIKI
https://dic.nicovideo.jp/a/yoshiki
YOSHIKI “カレー事件”の真相告白、HIDEさんからの連絡に「カレーが辛い…」
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/01/16/kiji/20220116s00041000489000c.html
『X JAPAN』YOSHIKIが「お笑いタレント」だった黒歴史映像流出
https://myjitsu.jp/archives/4396
YOSHIKI シャワーが熱い事件の裏側で起きてた深刻な事件【考察X】
https://x.gd/KD4sP
【X JAPAN】YOSHIKIの伝説エピソードまとめ!
https://toretame.jp/xjapan-yoshiki-episode.html
(ZENMAI 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像 ウィキペディアより引用 CC0 1.0