『地下鉄サリン事件』『坂本弁護士事件』など、オウム真理教による衝撃的なテロや襲撃の事件は数多い。化学兵器サリンの存在が特に象徴的ではあるが、彼らはボツリヌス菌や炭疽菌といった生物兵器の開発・培養も行なっており、1993年には日本で唯一炭疽菌が使用されたテロ未遂事件「亀戸異臭事件」が発生している。
当時、オウムの教団幹部であり教祖麻原の主治医の一人でもあった遠藤誠一(えんどうせいいち)を筆頭として、生物兵器の研究が行なわれていた。ボツリヌス菌の培養に失敗した彼らが、次に着手したのが炭疽菌であった。無差別テロを計画していた麻原は、これに炭疽菌を用いることを提案し、その培養を遠藤に担わせた。
そして、教団幹部で核開発を担当していた豊田亨(とよだとおる)によって開発された噴霧(ふんむ)装置が、オウムの亀戸道場(教団東京総本部)の屋上に設置されることとなった。
麻原とオウムのナンバー2であった村井秀夫(むらいひでお)主導のもと、炭疽菌は6月28日と7月2日の二度にわたり散布されることとなった。これによって近辺一帯は異臭に包まれ、住民たちはすぐに発生源を亀戸道場だと特定し抗議を行なった。教団側は、「薬品調合の失敗」と述べ、もう異臭騒ぎは起こさないと宣言し事態は収拾することとなった。
もともと、この炭疽菌が散布された理由は、かねてより近隣とのトラブルがあったことへの報復(腹いせ)であったという。現在でも現地近くのアパートなどの玄関ポストには「オウムはお断り!」という古びたステッカーが見受けられるようだが、当時どれほどに周辺住民がオウムに悩まされていたかがうかがい知れる。
なお、この散布が仮に”成功”していれば、地域一帯に甚大な被害をもたらすことは避けられなかったであろう。人通りも多かったというこの場所で、異臭騒動にとどまったことは幸いであった。
この原因については、遠藤らの炭疽菌の開発が未熟であり未完成であったこと、噴霧装置の威力が強すぎて炭疽菌が高圧により死滅してしまったこと、などが考えられているが、どちらにせよオウムのバイオテロ計画は失敗に終わったと言える。
ただし、この時教団の人々が着用していた防護服は粗末なものであったと言われており、仮にこの時の炭疽菌が有効なものであったとすれば、実行者である麻原たちにも危害が及んでいた可能性は高いという。この事件によって、オウムは生物兵器から化学兵器へ開発方針を変更し、のちにサリン事件へとつながっていくこととなった。
炭疽菌により感染する炭疽症は、人獣共通の感染症となっており、傷口から菌が侵入することで発症する「皮膚炭疽症」、肺に吸収された際に発症する「肺炭疽症」、菌が付着した食料の摂取により発症する「腸炭疽症」の3種類が確認されている。この中でも、肺炭疽症は未治療の場合その致死率が90%以上となり、オウムが狙っていたのはまさしくこの肺炭疽症であったという。
当時を知る人によれば、オウムのビルの屋上から断続的に蒸気が吹き出していたとのことだ。この異臭事件は、発生当時にはバイオテロだと考えられておらず、オウムの強制捜査以後に事実が判明している。周辺住民たちが、この事実にどれほど戦慄を覚えたかは計り知れない。
【参考記事・文献】
炭疽菌を噴霧した東京亀戸のオウム東京総本部ビル跡地に行ってみました
https://twi55.com/2018/07/08/kameido20180708/
オウムの古巣・江東区亀戸七丁目を歩く
https://tokyodeep.info/kameido-7chome/#gsc.tab=0
オウム真理教男性信者逆さ吊り死亡事件 / 亀戸異臭事件
https://hanrei.center/?p=6360
(ナオキ・コムロ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像 パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=121651