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株価やミームにも影響を及ぼした旧ソ連の大粛清者「スターリン」

ヨシフ・スターリンは、1924年から1953年に渡りソビエト社会主義共和国連邦の第2代最高指導者だ。

旧ソ連の歴代最高指導者の中でも30年という最長の統治年数を誇り、五カ年計画による農業・工業革命を推進して無数の餓死者を出したほか、政治家に限らず思想的に相容れない人々を次々に粛清するといった、20世紀を代表する独裁者の一人である。

グルジア出身であった彼は、元々ロシア語を知らなかった身であったがわずか2年で習得したといわれ、また彼は非常に読書家であり、1日最大500ページ読んでいたとまで言われている。このようにみると非常に勤勉な人物であったようにも思えるが、彼は少数民族グルジア人で貧困層出身であり、幼い頃から人一倍のコンプレックスを抱えていた。

生来、自己顕示欲や権力欲が旺盛だったことに加え、父親からの虐待や母親からの厳しい教育などによって歪(いびつ)な性格へと形成されていったと言われている。

彼は非常に人間不信であった。ボディーガードの回想によれば、式典に赴いた際も劇場周りどころか舞台裏、ホール、などは私服警備員で溢れており、また専任のシェフでさえ信用せず、ビュッフェでは毎回誰かが食べた後に食事を始めていたという。彼の人間不信は年を追うごとに強まっていき、少しでも敵であると疑った相手は、冤罪であろうと、捏造してでも粛清の対象となった。

ただ、彼がそうなっていったのは1930年代に入ってからと言われており、20年代には警備に訪れていた一人の士官候補生が彼に殴りかかり軽傷を負わせたものの、とがめられることはなかったという信じられないような逸話もある。

そんなスターリンの死は謎めいたものとなっている。彼は1953年3月5日、別荘の自室で亡くなっていたところを発見された。脳卒中の発作あるいは脳溢血による自然死であると言われているが、彼は普段から別荘に人を近づけなかったために、発見が遅れたのではないかと言われている。




その一方で暗殺説も存在しており、粛清の主要な執行人であるラブレンチー・ベリヤが、倒れているスターリンを介抱しようとした警備員に対し、「寝ているだけだ」と帰したといった証言もあり、ほかにも粛清を恐れた側近たちの共謀による暗殺であり実行者がベリヤだったとの説もある。

なお、彼が危篤であるというニュースが伝わった際には、それを発端として戦後初の株価大暴落が発生しており「スターリンショック」とも呼ばれている。

スターリンの存在は、現代に至ってもその影響が色濃く残っている。例えば、日本では何らかの形で彼の名前に関連する人物やグループが存在している。政治家・ジャーナリストなどで活動する有田芳生(ありたよしふ)の名前は、日本共産党員であった両親によって「ヨシフ」・スターリンから取って名付けられたものとして知られている。

また、かつて存在していたパンク・ロックバンドのザ・スターリンは、「世界一嫌われている人物の名前」という理由からその名を冠し、施設破壊や観客への爆竹投入や放尿など日本一過激なパフォーマンスを展開、さらには彼らに施設を貸し出さないという条例まで制定されたほどであった。

また、ネット上においてタブーな話題に触れた時「おっと誰か来たようだ」といった定型句がミームとして使用されることがあるが、これはスターリンの大粛清時代に日常茶飯事であった、内務人民委員部が家を訪れて家宅捜索、連行、詰問を行なうという通称「深夜のスターリンノック」に由来していると言われている。

【参考記事・文献】
スターリン
https://x.gd/wb9Oz
ヨシフ・スターリン
https://x.gd/CL0Vi
スターリンはどんな人?生涯・年表まとめ【死因や名言も紹介】
https://rekisiru.com/2638
スターリンを殴った士官候補生はどうなったか
https://jp.rbth.com/history/82852-stalin-wo-nagutta-shikan-dou-natta
七つの有名なスターリン伝説のファクトチェックをしてみたら
https://jp.rbth.com/history/85257-stalin-densetsu-chekku

画像 ウィキペディアより引用

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