事件

昭和を代表する猟奇殺人「少年誘拐ホルマリン漬け事件」

1957年、都立の精神病院にて、一人の男性患者の発言を不審に思った精神科医が、男性の自宅を訪ねた。男性患者の自宅の自室は、畳の上に血痕が残され異様に盛り上がっていたため掘り返してみたところ、なんと金魚鉢と水槽にギュウギュウに押し込まれた少年のバラバラになった死体が、ホルマリン漬けで発見された。

この「少年誘拐ホルマリン漬け事件」と称される衝撃的な事件は、その犯行の猟奇性や犯人の異様な性癖が注目され話題となった。

1957年4月2日の夕刻、都内に住む12歳の少年が出かけたまま行方がわからなくなった。警察の調査によって、その日少年が25歳前後の男性と一緒に銭湯から出ていったところを目撃されたという。少年が行方不明になって2日後、少年の母親のもとに身代金を要求する手紙が届いた。

これによって誘拐事件であることが明確になり、警察によって受け渡しの現場で犯人を取り押さえる作戦も行なわれたが、犯人が現場に現れることはなかった。

少年は、前述したホルマリン漬けになったバラバラ死体で発見されることとなった・・・犯人の男性は、図書館の臨時職員として真面目で礼儀正しい印象を持たれていたが、その反面、男児に対するつきまといや小動物の虐待などによって、近隣からは悪い評判も噂されていた。

また犯人は、すれ違った少年にいきなり抱きつくといったことを何度か行なっており、さらには銭湯や塾などで少年たちに声をかけて自宅に連れ込み、性的欲求を満たしていたという。これらのことから、犯人は小児性愛者であったと言われている。事件発生以前には、約5年ほど精神病院へ入院していたという経歴もあった。

被害者の少年は、行方不明となった前日に銭湯で男性と接触した。見ず知らずの男性から背中を流されていた様子を同伴の友人も目撃しており、「自分は誘拐されるかもしれない」という被害者少年の発言も聞いたという。


事件当日、町で声をかけて少年を連れ込んだ犯人は、少年の服を脱がそうとしたところを拒否されたことで腹を立て殴打し、その後殺害するに至った。その後犯人は2日間に渡って少年の死体を刃物でバラバラにし、それらを購入した金魚鉢や水槽に詰め込み、ホルマリン漬けにして密閉し保存した。

犯人は、犯行の一連の経緯を日記に残しており、被害者少年に対しては「理想的な少年を見つけた」、ホルマリン漬けの死体については「生きているよりもかわいい」「見ても見ても飽きるということがない」などと感想を記していた。また犯人によれば、身代金は初めから入手するつもりがなく、イタズラ目的であったと証言していた。

この事件は、被害者少年の父親がプロレスラーの清美川梅之(きよみがわうめゆき)、犯人の男性の父親が囲碁棋士の林有太郎(はやしゆうたろう)という、両者とも著名人の息子であったことにも注目が集まった異様な事件として現在も語られる。

清美川は、当時離婚しており事件当時は海外遠征もあったためにしばらくは全く知らなかったという。また林によれば、息子である犯人は普段から暴力的になる場面もあり、犯人が被害者少年を自宅へ連れ込んだ際には、両親とも「風呂へ行け」と言われ銭湯に出かけ、帰宅後に発見した畳の血痕については、殴って帰っていった時に鼻血を流していたと言われたという。

この事件については、ある都市伝説も囁かれている。犯人は一時期10匹以上の猫を飼っていたそうだが、飼育に飽きるとそれらの猫を殺してバラバラにし、その死体を一部食べたとも言われている。

回収された被害者少年の遺体には足りない部位がいくつかあったいう。少年に対する執着の強かった犯人が遺棄・処分したとは考えにくかったため、犯人が少年の遺体の一部を食したのではないかとも噂された。また、犯人は出所後に製薬会社の社長になっているという噂もネット上で広がったが真偽のほどは不明である。

【参考記事・文献】
【少年愛】少年誘拐ホルマリン事件とは?事件の概要と恐ろしい犯人の人物像とは?
https://yamucollege.com/archives/5841
少年誘拐ホルマリン漬け事件の概要・犯人・その後の出所
https://cherish-media.jp/posts/9760
少年誘拐ホルマリン漬け事件の犯人・林邦太郎の現在!被害者の写真・出所後などその後も総まとめ
https://newsee-media.com/formalin#i-2

(ナオキ・コムロ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

Photo credit: Lilmonster Michi on VisualHunt.com

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