アメリカで今なお捜査や研究がなされている未解決事件にD.B.クーパーハイジャック事件がある。
1971年11月24日午後4時35分、アメリカの上空を飛行していたノースウエスト航空11便にて、一人の男性乗客が客室乗務員の女性にメモを渡し、「爆弾を持っている」と告げた。
男性は鞄の中に導火線が繋がったダイナマイトを所持しており、身代金20万ドルとパラシュート4つを要求。身代金とパラシュートを受け取った犯人は乗客全員と客室乗務員2名を解放し飛行機を離陸させ、午後8時11分頃に高度約3000メートルの飛行機からパラシュートを付けて飛び降り、逃げおおせてしまったのである。
犯人は恐らくポートランドの北約50キロのアリエル郊外に降りたと考えられたが、以降足取りは全く掴めていない。しかし後に、家族と一緒にキャンプをしていた8歳の少年が身代金の一部を発見。そこにはいくつかのメモが残されていたという。
なお、長年に渡って捜査や研究が行なわれているにもかかわらず、今も犯人のD.B.クーパーの正体や行方は要として知られていない。
そんなD.B.クーパーの正体に近づくことができるかもしれない物証が保管されていたことが明らかになった。かねてよりこの事件を追跡してきた研究者のエリック・ユリス氏は、重要証拠品として保管されているD.B.クーパーのネクタイに捜査当局が見落としていたとされる調節可能なスピンドルが付いていることを発見した。
Amateur D.B. Cooper investigator to sue FBI to examine plane hijacker's tie https://t.co/jXh1Uys4oC
— NewsChannel 9 (@NewsChannel9) March 12, 2023
もしクーパーがその機構を使用していたのであれば、その箇所からD.B.クーパーのDNAを抽出できる可能性があると主張したのだ。DNAが抽出できれば、謎に包まれた犯人の正体に近づくことができるかもしれないと考えたユリス氏は、仮説を検証するために情報公開方に基づきネクタイの引き渡しを申し出た。最終的にユリス氏は証拠品の提供が法的に強制されることを期待して今年3月にFBIを訴えた。
18日月曜日、ユリス氏は法廷に立つこととなったが、残念ながら証拠品引き渡しの訴えは棄却された。
今回の判決についてジア・M・コブ判事は「D.B.クーパーの事件にまつわる陰謀や謎にかかわらず、訴訟の中心となっているネクタイは情報公開法の適用外である」と説明。 彼女は、情報公開法はあくまでも「”記録 “についてのみ提出を強制するものであり、有形物に対するものではない」と述べ、ネクタイは “複製や複写が不可能”な物であるため、”記録 “とはみなされないと主張した。
類例として、ケネディ大統領暗殺事件を研究していた人々がケネディ大統領が死亡時に着用していた衣服の開示を求めた訴訟がある。こちらも研究者たちの訴えは棄却されていた。
今のところ、D.B.クーパー事件にまつわる証拠品とそれに含まれる可能性のあるDNA鑑定は、FBIの公文書館にそのまま残されるようだが、ユリス氏はこの決定を不服として控訴する予定とのことだ。
(加藤史紀 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像 ウィキペディアより引用