2023年1月、北海道大学の境信哉教授がTwitterにて、「アイヌが先住民族でないことは確か」といった書き込みをしたことで騒動となった。
2019年、アイヌ文化を生かした地域振興策を行なうための交付金の創設などを盛り込んだ「アイヌ新法」では、アイヌが「先住民族」であるとして初めて明記され可決・成立するに至った。この「アイヌは本当に北海道の先住民族なのか」という問いについては、わずかながら検証がなされているようである。
大陸から渡ってきた弥生人が日本列島にやって来た際、縄文人の一部が農耕を拒否して北海道の地で狩猟・漁撈(ぎょろう)などを行なう独自の生活文化を形成していった。DNA解析においても、日本列島に住んでいたのは縄文人で間違いないようである。「アイヌは縄文人の末裔である」とよく聞くが、実際は北方系が混じった縄文人の枝分かれではないかと考えられている。
ある説によると、原アイヌはシベリアのケット人とカムチャツカのコリャーク人の混血として誕生した、いわば「ケット人から分枝したシベリア北方民族」であるというのだ。これらの説は、歴史学者白鳥庫吉(しらとりくらきち)や方言学者池上二良(いけがみじろう)が提唱したものであるというが、その後この両者の民族については、アイヌ文化と呼ばれるものの類似が強く見られているという研究もなされているのだ。
風貌や家屋、土器を使用しない、といった生活様式がアイヌとケット人とで酷似しているという。アイヌの地上家屋の原始形態は、三脚支柱のテントであったと考えられているが、この様式はまさしくケット人の家屋であったという。また、アイヌ熊送りについてはコリャーク人の鯨送りが原型であるという。
殺された対象に対して客人として歓迎する儀式パターンは熊送りと鯨送り両方に見られ、また鯨送りでは海に帰る鯨の従者としてアザラシ2頭の頭を飾るが、これはオス犬2匹を森に帰る時の召使として熊に捧げる熊送りとほぼ同様であるというのだ。
結果として、本来の先住民族である縄文人が住んでいた北海道の地に、異民族として入ってきた存在がアイヌであり、13世紀ごろに北海道の地を独占状態にしたというのがこの仮説である。実際、いわゆるアイヌ「民族」についての学術的な定義は、現在もなおなされていないと言われている。
あくまで一つの仮説であるため、差別という言葉に惑わされることなく、慎重な態度によって進めていきたい議論である。
【参考記事・文献】
中川八洋『侵入異民族アイヌの本当の歴史』
アイヌは「先住民族」ではない
https://agora-web.jp/archives/230124010852.html
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(ZENMAI 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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