ネフェルティティは、エジプト新王国時代の第18王朝ファラオ・アメンホテプ4世(アクエンアテン)の正妃、そしてツタンカーメンの義母である。美しい容姿で知られ、プトレマイオス朝の女王クレオパトラ7世、第19王朝ラムセス2世の正妃ネフェルタリと並び、古代エジプト三大美女とされている。
ネフェルティティの生涯については、現在もまだよくわかっていない部分が多い。彼女の名前は、「美しい訪問者」を意味すると言われており、異国からやって来たのではないかと見られている。また、その存在は当時の治世に強い影響を与えるほどであったと言われており、アメンホテプ4世は、古来エジプトより信仰されてきた多神教から太陽神アテンを信仰するという一神教への変革を行なったことで知られているが、この宗教改革の確立にはネフェルティティの関与が強く影響していたようだ。
しかし、アメンホテプ4世が世を去ったのちにエジプトは宗教を含め旧来の制度に戻り、アメンホテプ4世の名は抹消され、像や碑に至る多くのものが解体・破壊されてしまった。それと同時にネフェルティティがその後どういった生涯そして最期を送ったのかについては、いまだによくわかっていないのである。
さて、先述したようにネフェルティティは美女であったと言われている。それを象徴するものとして知られるのは、1912年に発見された「ネフェルティティの胸像」であった。考古学者ルードヴィヒ・ボルヒャルトと彼の率いるチームによって、エジプトのアマルナにある宮廷彫刻家の工房跡から出土したこの胸像は、非常に良好な状態で保存されており、「つい最近色が塗られたばかり」のような鮮やかさ、高い頬骨に細い首、中性的な顔立ちと言った、美を象徴するような姿であった。胸像は3300年以上も前に作られたものとされており、現在はベルリン旧博物館に展示されているという。
だが、このネフィルティティについては「本当に美女であったのか」という疑惑が囁かれている。1992年に、胸像のCT画像が初めて撮影されることとなったのだが、それによると胸像は石灰石製の素像の上から漆喰が何層にも重ねて塗られていることが判明した。そして、その下層にあった容貌は、口角と頬のあたりにいくつものシワがあり、頬骨もそれほど高くなく、鼻筋にはコブもあったというのである。
この結果は、ネフェルティティの真の容貌の上に、メイクするような形で“理想とする美”があてがわれたのではないかと言われているのである。
ネフェルティティは、墓はおろかミイラも発見されていないとされている。2000年代になって、19世紀末にアメンホテプ2世の墓で発見された3体のミイラのうち、「年下の女性」と名付けられたミイラがネフェルティティであるとの可能性が主張されるようになったが確証は得られていない。
彼女は本当に絶世の美女であったのか、胸像は理想の美を投射したものであったのか、現在も謎は残ったままである。
【参考記事・文献】
古代エジプトの謎多き王妃ネフェルティティ、美貌に隠れた政治力
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/22/030900107/
古代エジプト王妃、真の容貌が明らかに
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/1067/
古代エジプトの謎多き王妃ネフェルティティ その墓とミイラに迫る
https://npn.co.jp/article/detail/200024353
エジプト王妃ネフェルティティの墓に新説
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/082000228/
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(黒蠍けいすけ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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