九鬼文書(くかみもんじょ)とは、和歌山県熊野本宮大社宮司の九鬼家に伝わる古史古伝の文書である。
古代出雲王朝の正統性を主張するものとなっており、九鬼家の遠祖「天児屋根命」(アルアメノコヤネノミコト)の時代に神代文字で書かれていたと言われている。のちに藤原不比等が漢文に書き換え、以後に代々筆写した者によってその時代の出来事などが書き加えられていったとされている。
九鬼文書の内容は、宇宙の始まりから明治時代に至るほどに膨大であり、「国体歴史篇」「神殿秘宝篇」「兵法武教篇」各数巻の計34巻からなる壮大な書物となっている。太元輝道神祖(タイゲンキドウシンソ)によって宇宙が始まり、日本の神々の子孫が海外へくだって国造りをしたという流れとなっている。
九鬼文書の最大の特徴は、皇室のルーツをスサノオに置いていることだろう。現在の正史において皇室のルーツはアマテラスとなっているが、九鬼文書によるとアマテラスは2人おり、1人は記紀と同様にスサノオの姉として、そしてもう1人はスサノオの娘もアマテラスであるというのだ。
つまりは、日本は皇祖スサノオをルーツとし、そのスサノオの子孫となる神々が世界各地に渡って文明を発展させたということだ。
そもそも九鬼家とは、中臣氏の一族であった。そのためか、文書には仏教派の蘇我氏と神道派の物部氏、中臣氏の対立が生々しく記されているという。特に、仏教を重んじた蘇我馬子と聖徳太子を悪の代表として立たせ、彼らによって神代より伝わる宝物や書物が焼失させられ、別の新たな歴史に書き換えられたとしている。
現在に残る九鬼文書は、消失から免れた一部文書を写本したものであるとされ、それらの写本がいくつかの一族に伝わり、「物部文書」「竹内文書」などのベースとなったとも考えられている。
もともと秘伝であった九鬼文書が世に出たのは1940年代、末裔である九鬼隆治(たかはる)が古神道研究家三浦一郎へ古文書の整理を依頼したことがきっかけであった。三浦の著作『九鬼文書の研究』が古代史研究の同志たち宛に数十部ほど地下出版されたのだが、それが他の歴史家にも知られてしまうこととなり、記紀に基づく当時の皇国史観から外れる異端の研究と見なされ三浦は検挙、そののちに逮捕される事態となった。
三浦の著書はその後1999年に復刻となったものの、他の研究資料と文書の原本については現在に至り所在が定かではない。
竹内文書などと同様に、九鬼文書は偽書と判断されている。内容的には、近代的な偏見や事情が投影されている部分も多く見られているのも事実である。ただし、正史が権力者の意図により編纂されているのは事実であり、当時の政権上都合の悪い情報が隠蔽されているという事情は確かにあり得ることだ。
古代史を探る一つのヒントとして見なす分には、現代人の我々のリテラシーを試される文書ではあるだろう。
【参考記事・文献】
・歴史の謎を探る会『世界怪異事典』
・九鬼文書(くかみもんじょ)
http://shinyash.jp/kukami.html
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(ナオキ・コムロ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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