東海道四谷怪談、通称「四谷怪談」は江戸を舞台に幽霊の復讐劇を描いた、日本でよく知られる古典的怪談の一つである。呪われた演目として有名であり、芝居をすると関係者にケガ人や病人が出るなど不幸が相次ぐという話が、江戸時代から語られている。
現代においても歌舞伎や芝居を演じる際には、関係者が「於岩稲荷神社」(新宿)へ必ず参拝するという。
作者は、四代目鶴屋南北。貞女である岩が婿養子の夫・伊右衛門に惨殺され幽霊となって復讐を果たす、というのが四谷怪談のおおまかなあらすじである。歌舞伎や落語の演目として演じられ、現代でも改作を重ね多くのバリエーションが作られている。元禄時代に起こった事件がモデルと言われるが、四谷怪談そのものは、れっきとした創作怪談である。
鶴屋南北は、幼い頃から芝居好きであった。のちに歌舞伎狂言作家である初代桜田治助に入門し、作家としてのキャリアを積んでいくこととなるのだが、台本がなかなか書けず癇癪持ちであったこと、また当時は蔑視の対象であった染物屋の出身ということもあり、正当な評価を受ける機会に恵まれなかった。
彼の評価がようやく花開いたのは、1803(享和3)年。すでに49歳となる彼が書き上げた『世響音羽桜(よひびけおとわざくら)』によって、立作家としての名声を得ることとなる。以後ヒットを連発することとなった彼は、1811(文化8)年に四代目鶴屋南北を襲名するに至る。
しかし、遅咲きであった彼の中には、長年の下積みの中で受けた数々の蔑視によって蓄積された怨念が宿っていたようである。晩年に書き上げた彼の最高傑作「四谷怪談」は、世に怪奇を起こそうと意図した彼の呪いが込められていると言われているのだ。
南北は、台本を書くだけにとどまらず、配役、舞台音楽といったものまで細かく指示を入れた総合演出の先駆けとも言われている。舞台での呪いが、その演出の一環であった可能性はあるかもしれないが、現代においてなお呪いともとれる出来事が囁かれるのは実に不可解な話だ。
ところで、於岩稲荷神社によると、岩は良妻賢母の鑑であり伊右衛門とは仲睦まじい円満な夫婦であったと説明されている。治安維持の役職を担っていた田宮家の初代田宮又左衛門の娘であった岩が厚く信仰していた田宮神社が、岩による家勢の復興への尽力および後年の四谷怪談のヒットにあやかり“お岩さん”を祀るものとなったのが於岩稲荷神社であるという。
岩と伊右衛門の関係も、怪談で語られているものとは全く異なっているのはなんとも不思議である。現在でも、楽しげな日常の背景に実は裏設定が存在するというような話が、多くの国民的アニメなどの都市伝説として流布されている。
この実際の謂れから反転した物語の創作というのも、南北の手によるなんらかの呪術めいた“装置”だったのかもしれない。
【参考記事・文献】
・山口敏太郎『日本史の都市伝説』
・四谷怪談のお岩さんを祀ったふたつの「於岩稲荷」(おいわいなり)の話【閑話】
https://onl.la/121kcnY
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(にぅま 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像 ウィキペディアより引用
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