事件

バミューダトライアングルの未だに解明できない謎

バミューダトライアングルは、世界で最も謎めいた海域のひとつだ。アメリカ南東部の沖合に位置しバミューダ諸島、フロリダ半島、プエルトリコに囲まれたこの不気味な三角海域は、昔から失踪事件が起きることで知られており、この海域で行方不明になった人々の多くは二度と姿を現さないとされている。

今回はそんなバミューダトライアングルで起きた不気味な事件をいくつか紹介しよう。

・グレート・アイザック灯台

バミューダトライアングル近くのグレート・アイザック・ケイには、1800年代半ばに設置された灯台が1つだけあり、2人の灯台守がいた。

1969年、灯台守が定期的な呼びかけに応じなかったため、灯台を確認するために小船が島に向けて出航した。しかし調査員が上陸して探したものの、2人は跡形もなく消えていたことが判明した。

ちなみに彼らが島に上陸する少し前にハリケーンが島を通過していたが、居住区はハリケーンの影響を受けていないように見えたため、経験豊富な灯台守2人がなぜ悪天候の中、外に出てしまったのか調査員は不思議に思ったという。今日に至るまで、2人の灯台守に何が起こったのかは不明のままだ。

・エレン・オースティン号の発見した船

1881年、エレン・オースティン号はリバプールからニューヨークに向けて出航。数週間航行していたとき、船長のグリフィン船長がサルガッソー海を近道してバミューダ・トライアングルに近づいたところで、乗組員が遠くに奇妙な動きを見せる別の船を発見した。

グリフィンは数日間その船を遠まきに見守った後、部下の乗組員に調査するよう命じた。その結果、船は無傷のまま放棄されていたことが判明。船には攻撃を受けた形跡は勿論目立った損傷もなく、海に置き去りにされた理由はなさそうだった。

グリフィン船長は乗船した乗組員に命じて、エレン・オースティン号を追う形でともにニューヨークへ向けて航行させた。しかし、その後大嵐が船を襲いオースティン号は船と引き離されてしまった。船長が再び奇妙な船を発見したのは悪天候が収まってからだった。

しかし、船を確認すると部下たちの姿は消えており、またしても船は無人になっていたのである。その後、オースティン号は単独でニューヨークへ向かった。謎の船も部下の乗組員も、二度と姿を現すことはなかったという。




・USSサイクロプス

1918年3月4日、USSサイクロプスは305人の乗組員を乗せ、メリーランド州ボルチモアに向けて出航した。この船はマンガン鉱石を満載して3月13日にボルチモアに到着する予定だったが、姿を見せることはなく305人の乗組員全員と船は永遠に失われてしまった。

サイクロプス号からの通信で、9日間の船旅のどこかの時点でバミューダトライアングルに到達したことが判明しているため、彼らも犠牲者になったと多くの人が考えている。

・ウィッチクラフト号の遭難

1967年12月22日、ウィッチクラフト号と呼ばれる豪華クルーザーが、マイアミのクリスマス・イルミネーションを海上から見るために沖合いに出た。

午後9時、マイアミの沿岸警備隊がウィッチクラフト号からの遭難信号を受信、船が何かにぶつかったので岸まで曳航する必要があると冷静に報告してきた。乗員にも危険はなく、救助隊に正確な場所を示すために照明弾を発射すると報告してきたものの、緊急信号は発射されなかった。

20分後、沿岸警備隊が通報のあった場所に到着したが、ウィッチクラフト号も照明弾も見当たらなかった。捜索救助隊は1,200平方キロメートルの範囲を捜索したものの、ウィッチクラフト号も乗員も発見できなかった。

(加藤史紀 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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