8月8日発売の『週刊新潮』が爆笑問題の太田光に対し日本大学芸術学部への裏口入学の疑いがある記事を掲載し、各方面に波紋を呼んでいる。
記事によると、太田の父親が1983年後半、とある団体が運営している裏口入学ネットワークに息子・光の入学依頼。800万円前後の大金を日大に払い、太田は晴れて日大に入学できたという。
当の太田本人は8月7日に放送されたTBSラジオ『爆笑問題カーボーイ』でこの噂を完全否定。「裏口入学するわけねーだろう」と40分に渡りコメントした。
さて、この太田の裏口入学問題だが、多くの爆笑問題ファンはこの報道に懐疑的だった。なぜなら、太田は日大芸術学部への入学試験時、裏口入学なんて問題にならない多くの破天荒エピソードを残していて、たとえ裏口があったとしても通常の基準であれば絶対に合格などあり得ないからである。
1984年の春、日大芸術学部の筆記試験会場で教壇に立ち、大声で何かを演説している奇妙な高校生がいたという。やがて、試験官が教室に入ってきて試験の説明をしている時も「てめえなんかやめちまえ!バカヤロウ!」「コノヤロー!」などと試験官をヤジり倒していたという。
この高校生こそ、後の爆笑問題の太田であり、試験官に散々と罵詈雑言を浴びせたにも関わらず、結果はなぜか合格だったという。
また、試験会場で大暴れする太田を見て「ああ。こいつ落ちるだろうな」とひとり直感で感じていたのが後に太田とコンビを組む爆笑問題の田中裕二だったという。
なお、筆記試験の当日、田中は直前まで仲間と草野球に興じていて、泥まみれの野球ユニフォームで試験場に来ていた。その姿を見た太田は「試験場に野球着着てるバカがいるぞ!」と思ったという。
なお、実技試験は太田は『浪花恋しぐれ』のカラオケ、田中は近藤真彦のモノマネで合格したといいう。
裏口入学を有無を疑う以前に、当時の日大受験生はかなりの変人揃いだった可能性が高く、また大学側も「個性的な学生を集める」傾向があったのではないかといわれている。
つまるところ、太田と田中の日大合格はむしろ実力(?)で勝ち取ったというのが大方の見方ではないだろうか。
(パンダ・レッサーパン・ダグラフ ミステリーニュースステーション・ATLAS編集部)
画像『違和感』