事件

天才数学者から豹変し爆弾魔に!全米を震撼させた「ユナボマー」

3月21日、今月頭からアメリカはテキサス州オースティンにて発生していた連続爆破事件の犯人が、警察に身柄確保されそうになったため自殺した。車内に乗せていた爆弾を作動させての自爆であり、爆弾はどこかに運ぶためのものだったのかは解っていない。警察は他にも容疑者がまだ爆破に至っていない爆弾を所持していたり、どこかに仕掛けていないか捜査する予定だ。

アメリカ社会では、今回の連続爆破事件をして、かつて1970年代後半から人々を震え上がらせた連続爆弾魔「ユナボマー」と比較する流れがある。

「ユナボマー」はFBIが連邦犯罪として捜査することになった最初の事件であり、期間が最長となった事件でもあった。
1978年5月下旬頃、ノースウェスタン大学の材料工学科教授に小包爆弾が送りつけられた。これを皮切りに、犯人は様々な場所に爆弾を送り付けはじめる。




翌年11月にはシカゴからワシントンDCへ向かうアメリカン航空444便が爆弾によるテロに遭う。幸い未遂に終わったが、12人の乗客が爆弾からの煙を吸い込んで病院に搬送された。

この事件をきっかけにFBIが捜査に乗りだし、連続爆弾魔は標的となった大学(University)と航空会社(airline)から『Una Bomber (ユナボマー) 』と名付けられた。

1985年10月にはカリフォルニアのパソコン店経営者が爆弾で死亡、初の死者となる。その2年後の1987年にはソルトレークシティーで初めてユナ・ボマーらしき人物が目撃され、似顔絵が全米に公開されたものの、身の危険を感じたのか88年から92年まで4年間、ユナボマーは犯行を重ねずに潜伏し続けた。だが、犯人はその間大人しくしていたわけでなく、爆弾の製造技術を磨いていたようだった。

そして1993年に再びユナボマーは動き出す。6月にカリフォルニア大学の遺伝学者とイェール大学の教授に爆弾を送りつけた。この時標的となった教授は重傷を負ったものの、命に別状はなかった。だが翌94年10月にはバーソン・マーステラ社重役が、95年4月には木材業界の団体代表がそれぞれ爆弾を送り付けられ殺害された。

この年、ユナボマーは自身の手による犯行声明文と独自の論文を送り付け、全国紙に載せることを条件に犯行を中止すると宣言。通称「ユナボマー・マニフェスト」と呼ばれたこのテキストはニューヨークタイムズとワシントンポストに掲載され、反響を呼んだ。

だが、この手記の論調や使用語句が「ある人物」の書いたものに似ていると気付き、FBIに通報。論文を検証したFBIは捜査を進め、96年に多くのの捜査員らにより犯人、セオドア・カジンスキーは逮捕された。なお、論文の類似をFBIに通報したのは彼の弟であった。




ユナボマーことセオドア・ジョン・カジンスキーは、1942年5月22日、シカゴ郊外のイリノイ州エバーグリーンパークで生まれる。

彼は勉強好きで小学校5年の時点ですでにIQが167もあった。そしてわずか16歳でハーバード大学に進学する。20歳で卒業すると、ミシガン大学大学院に進学し数学の修士号と博士号を取得。その後25歳でカリフォルニア大学バークレー校の助教授に就任した。周囲の期待は大きく教授への昇進も考えられていたが、1969年に急に大学を辞職。後にモンタナ州の郊外の山小屋で自給自足の生活を始めた。そして、78年に事件を起こすのである。

カジンスキーは精神鑑定の結果、妄想型統合失調症との診断が下った。また彼は弁護団を解任し自ら弁護を行おうとしたりもしたので、検察は仮釈放なしの終身刑とする司法取引を提案。カジンスキーも同意したため公判は1度も開かれることなく刑は確定した。
カジンスキーは現在もコロラド州の刑務所に服役中であるが、犯行動機は現在に至るまで語られていないため、不明となっている。

(田中尚 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像©ウィキペディア「セオドア・カジンスキー」より