現在は五郷は穏和な土地である。しかし、かつて豊臣秀吉と地元の住民が激突したという壮絶な歴史があるのだ。天下を統一した秀吉は、「刀狩り」という名目で庶民から武器を取り上げたのだが、各地でそれに反抗する動きがあった。
この五郷でも秀吉の圧政に対し、闘いを挑んだのだが、その結果は悲惨なものであったという。秀吉の差し向けた討伐軍は、庶民たちに対し大殺戮を行ったのだ。累々と遺体の山が連なったという。酷い仕打ちは討伐後も続いた。うち捨てられた庶民の遺体は、埋葬も許されず、そのまま放置するように強要されたのだ。
「いくら秀吉様の命と言えども、むごい仕打ちじゃ」
これに涙した地元の人々は秀吉のやり方に憤慨しながら、墓石の替わりに松を植えた。それがいつしか松原となり、現在でも残っているという。
その松原であるが、いつの頃からか、松の枝をむやみに伐ると祟りがあると噂された。安土桃山時代の怨霊が今も健在であると人々は確信しているらしい。ある時、その松原の一角に便所が建設された。すると奇怪な事が発生した。
「どうも、頭痛がとれない」
「目がかすんでみえない」
関係者に奇妙な病気が頻発したのだ。この事態を重く見た小西氏と200名近い有志が集まり、怨霊たちの供養が行われた。昭和52年から毎年秋に行われるこの供養祭は今も続いており、猛き亡者たちを鎮魂し続けている。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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