焼死体で発見、哀れな赤ちゃんはどこから…?大正時代の凄愴なミステリー





大正12年3月1日、現在の東京都品川区高輪で凄惨な事件が発生していた。

高輪南町の泥溝内に、生後1ヶ月に満たない嬰児の焼死体が捨てられているのを通行人が発見。遺棄されてから既に何日か経過していたらしく、左手の先と両足の太ももから先は野良犬に食べられてしまったようでちぎれていた。

この嬰児の死体には奇妙な点があった。右目は焼けて落ち窪んでいたが、左目が本来の位置になく、耳の上に存在していたのである。

当時の新聞記事には高輪署の見解として、嬰児が遺棄された周囲に富豪や名士の邸宅も多かった事から、重い障害を持って産まれたためにすぐ殺害されたか、死産であったために焼き捨てられたのではないかと見ている。なお、警察は当時捜査も行っていたようだが、結局遺棄した犯人は判明しなかったようだ。




ちなみに、品川区高輪にはかつて「座敷わらしがいる」とされた実業家の邸宅が存在していたという。

幸をもたらす子供の妖怪「座敷わらし」は、民俗学の中では間引きや奇形児、死産や流産など幼くして亡くなった子供の霊を祀ったものという説がある。祀られているうちは幸を運んでくれるが、やがて忘れ去られると祟りをもたらして没落させるのか。

高輪には戦後すぐにも生後3ヶ月の男児の死体が捨てられているのが発見されて事件になっている。この不幸な子供たちと座敷わらしを繋げて考えたくはないが…。

なお、座敷わらしがいるとされた邸宅に住んでいた一家は、現在は別の地域に移り住んでいるそうだ。

(田中尚 山口敏太郎事務所 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像©PIXABAY

 

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