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【日本三大怨霊】畏怖される、御霊を祀られた上皇

『【日本三大怨霊】崇徳上皇、相次ぐ皇族の不幸、戦乱、天災…牙を剥いた祟り』より続く

恨みの年から魔界の王となった崇徳上皇は、異形の姿となって日本に災害をもたらし、更には大乱をおこす事を画策していたとされている。その後も崇徳上皇にかんする奇怪な話は度々語られている。

承久の乱で敗れた土御門上皇が土佐に流される途中、崇徳上皇の御陵で怨霊を慰撫する目的で琵琶を弾いたところ、夢に崇徳上皇が現れ、京に残してきた家族を守護すると約束してくれたのだという。

また、崇徳上皇と生前から親しかった西行法師が、崩御から数年後に御陵を訪問し、一晩中読経していると、稲光と共に怨霊となった上皇が現れ、朝廷への恨みを述べたと言われている。




その後、崇徳上皇は四国の守護者であるという考え方も生まれる。室町幕府の首領・細川頼之が四国の守護に就任したとき、崇徳上皇の菩提を手厚く弔ったところ、見事四国の平定に成功したのだという。

以来、崇徳上皇は細川家代々の守護神として崇拝されるようになった。近代においても崇徳上皇への畏怖は続き、明治維新後、明治天皇は即位に際して使者を讃岐に送っている。

これは抵抗を続ける幕府軍に崇徳上皇が手助けするのを阻止することが目的であり、丁重に崇徳上皇の御霊を京都に迎えるため、京都市上京区に白峰神宮を創建したのである。

現代においても、昭和天皇は1964年の崇徳天皇八百年歳のおりに、崇徳天皇陵に使者を送り式典が執り行われている。

朝廷に対し怨念を抱き続け、白峰魔王とまで呼ばれた崇徳上皇は、今も畏怖され丁重に弔われているのである。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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