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未解決のまま幕を閉じた、第二の帝銀事件!茨城「徳宿村精米業一家殺害事件」

1954年10月11日、ある家が放火によって焼け落ち、一家9人が全員毒殺されるという大量殺人事件が発生した。

敷地内の井戸からは青酸カリの付着した瓶が発見され、また手口がこの事件の6年前に東京都豊島区で発生した未解決事件「帝銀事件」と似ていたため、この事件は第二の帝銀事件として報道された。




問題の事件が発覚したのは同日午前3時頃。農家で精米業を営んでいた大沼豊房氏の家から出火しているのを近所の人が発見し、消防団員が消火にあたったところ、焼け跡から一家9人の死体を発見。敷地内の井戸から300ccの投薬瓶2本が発見され、内側には青酸性劇毒物が検出された。

付近の人々への聴きこみにより、前日午後2時頃に白衣を着て赤革の鞄を下げた40代の男性が「鉾田保健所から来た」と告げ、大沼家の住所や資産、家族構成を訪ねていたという証言が得られた。大沼家は近在でも有力者で区長も務めていた名士だったため、多くの人が仕事関連の訪問者だろうと思っていたようだ。

後に、捜査の結果前科8犯で印刷工をしていた緑志保(みどりいつほ)の名が容疑者として上がった。




彼の家には被害者宅から盗んだと思われる長靴があったり、現場に彼のイニシャルと同じ「I.M」の刺繍が入ったシャツとセーターが発見され、全国指名手配された結果、隣県の栃木県塩原温泉にて旅行客の荷物から金品を窃盗した際に身元が割れて逮捕となった。

だが、彼は捜査本部に護送される途中に酔い止めと偽って隠し持っていた青酸カリを飲み込み、自殺してしまう。こうして、最有力な容疑者が亡くなってしまったこの事件は、帝銀事件同様に未解決のままとなってしまったのである。

(田中尚 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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