怪談「累が淵」は、「東海道四谷怪談」、「番町皿屋敷」と並び日本三大怪談の一角を成す話だが、創作である二作とは違い、この話は現実にあった幽霊話であるのだ。つまり、実話である。
「累ケ淵」の悲劇は、すぎという女性が、助という醜い子供を産んだことから始まる。ところが、すぎは再婚相手の与右衛門が、連れ子の助の容姿を嫌ったために、我が子を鬼怒川に突き落とし水死させてしまった。我が子への愛情よりも、女の幸せを優先してしまったのだ。その後、すぎは与右衛門と再婚し、その間に子をもうけるが、その生まれた子供の顔は殺した助と瓜二つであった。いやな因果は、堂々と巡るのだ。
その子は、累(るい)という娘であったのだが、村人たちはその娘を累(るい)とは呼ばなかった。亡くなった兄である助の怨霊が、再びかさねて生まれてきた子供であるとし、累(かさね)と呼んだ。このいかにも因縁めいた呼び名が、怪談「累ケ淵」のタイトルとなる。両親を早くなくし、成長した累は孤独であったからだろうか。流れ者の男を夫に迎え、夫が二代目与右衛門となった。
だが妻となった累は顔が醜い上、性格も嫉妬深く、夫をしつこく束縛した。たまりかねた与右衛門は鬼怒川に突き落し、殺害してしまう。しかも、その殺害現場は、かつて累の異父兄である助が殺害された現場と同じであった。いわば、名前どおり兄の助と同じ現場で、“かさねて”死んでしまったのだ。
以後、与右衛門は6人もの妻を迎えるが、次々に狂い死にする。累の怨霊は、夫の幸福な再婚を決して認めなかったのである。ようやく6人目の妻は、どうにか生きながらえ、子供を一人生む。それが娘の菊であった。だがこの菊にも、累の怨霊が憑依してしまった。恐ろしい表情で、恨み言を吐き続ける菊。この事態に現地はパニックになった。地元の僧侶や神主が拝んでも、助、累と連綿と続く怨念は、決して晴れないのである。
この三代に渡る怨霊事件の解決に立ち上がったのが、悪霊退治で当時名を馳せた祐天上人であった。一躍村に乗り込んだ祐天の命がけの調伏により、ようやく憑依していた累の怨霊が離れた。だが怨霊事件は、完全にはおさまっていなかった。再び菊が怨霊に憑依され、暴れ始めた。今度、憑依した怨霊は助である。再び祐天は、現場に駆けつけ、助の怨霊から菊を救った。
この事件の解決により、祐天上人の名声は高まり、高僧への道を進むことになる。
現代において、この累ケ淵の現場はどうなっているのか、筆者は過去に乗り込んだ事がある。この話はまた別の機会に譲ろう。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像は「累(かさね)『絵本百物語』竹原春泉画」