今から51年前の1968年6月16日、日本を震撼させた爆発事件が起きた。
この日は日曜日で、横須賀線の車両は行楽客が大勢乗り合わせていた。午後3時ごろ、横須賀線上り列車が大船駅に定刻通りに到着する寸前のこと、前から6両目の車内の網棚にあった小さな荷物が爆発。乗客のうち28人が重軽傷を負い、1人が死亡した。
爆弾は時限式で、乾電池4個で動くタイマーによる時限装置が繋がれていた。鋳物のパイプの中には狩猟用散弾等に使われる無煙火薬が詰め込まれており、殺傷能力が極めて高いものだった。
関連記事
当時、無差別テロとも言うべき不特定多数を狙った電車爆破事件が起きていて、警察庁は即座に広域重要指定事件107号に指定。遺留品から少しずつ手がかりを特定していった。時限装置が包まれていた新聞紙から紙面を特定、印刷ずれから配達エリアを絞り込み、爆発物の入れられた紙箱が愛知県で販売された菓子箱だと判明した。
そして11月、有力容疑者として日野市に住む25歳の大工の若松善規が浮上、犯行を認めた。
若松には婚約を前提に同棲していた女性が居たのだが、若松と別れた後に別の男性と横浜市に住んでいた。そして、この女性が普段利用していたのが横須賀線だった。しかしながら、若松の犯行は衝動的なものであり、ただ単に横須賀線を狙っただけで、この電車にこの女性が乗っていたとう事実はなかったのである。
当時、若松は「草加次郎(爆弾魔)さえ出現しなければ列車爆破なんてやらなかった」と我儘な主張していた。このことは、未解決のままに終わった連続爆破事件に影響を受けて思い付いたと嘯いていたのである。しかしながら、あまりに身勝手な動機からの若松の犯行は、最終的に殺人罪、爆発物使用罪等で起訴され、死刑が確定。75年12月5日に刑が執行されている。
関連動画
[昭和43年6月] 中日ニュース No.753 4「またも電車爆破 ―横須賀線爆破事件―」
(田中尚 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像©写真素材足成