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座頭市は実在の人物!殿様のご落胤!?房総で活躍して会津で亡くなった!

 座頭市と言えば亡き名優、勝新太郎がテレビや映画で演じた盲目の剣客である。若い世代はビートたけしが演じた印象が強いかもしれない。

 多くの人が実在の人物だと思っておらず、架空の人物だと勘違いされているが、旭市や銚子市で縄張りを持っていた幕末の侠客、飯岡助五郎の配下にいた人物が座頭市のモデルになったようた。




 今回、筆者がプロデュースしているローカル紙『銚子スポーツ』にて座頭市の住居跡を記事にしたが、その取材の経過で様々な事が分かってきた。

 失明したのは成人してからで、居合の達人であったのも事実、一太刀で枡を真っ二つにする程の腕前であった。さらに、助五郎一家では若い連中から慕われた人格者でもあった。最期は助五郎のやり方に違和感を感じ、故郷の会津で亡くなったという。

 銚子でわかる情報はここまでであった。ならば会津の座頭市の墓にお参りに行こうと思いたち、すぐさま会津に向かった。

 会津市内にある井上浄光寺に墓はあり、ご住職のご家族から座頭市に関する話を聞いた。

 そもそも先代の住職のころ、作家の子母澤寛が同寺を訪問、当時の住職が檀家にこのような人物がいたと語り、それによって1961年、中央公論社の『ふところ手帖』に座頭市物語が書かれたのが始まりであった。

 しかも、座頭市は会津の出身ではなく、長岡の殿様のご落胤(らくいん)であり、失明したことで継承レースから脱落、母方の里であった猪苗代に移住、その後、会津で按摩や鍼灸で生計を立てていたという。成人するまでは普通に目が見えていたので、居合は長岡時代に会得したようだ。 殿様のご落胤ならば一流の剣術家から居合を指導されたのは簡単に推測出来る。

 本名は阿部さんであり、会津から外に出かける時に『佐渡市』と称していたらしく、座頭など盲人たちをまとめあげたことから座頭の頭という意味で『座頭市』とも呼ばれたようだ。若い頃と晩年は会津で暮らしたが、何故途中、房総に行ったのかはわからないという。




 残念ながら子孫はおらず、肉親の末裔であった男女の兄弟が昭和初期に亡くなり、血縁が絶えてしまった。この兄弟は座頭市と同じ墓に眠っている。

 座頭市のことがさらに好きになった会津取材であった。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)