第一章 ヌリカベ伝承発見の経過報告

 現代においてヌリカベはメジャーな妖怪である。これは水木しげる作『ゲゲゲの鬼太郎』にレギュラー妖怪として採用された為である。それ以前のヌリカベは一部の地方でしか語られないマイナーな妖怪でしかなかった。
 そもそも、彼の存在が知られたのは、柳田国男の『妖怪談義』に名前がのってからである。その時の記載は「福岡県の遠賀の海岸に出た怪」となっている。また1967年に丸山学が「カベヌリ」なる妖怪の報告をしている。この丸山の報告には出現地が記載されていない。只、丸山学が九州を中心に民俗学の研究を展開したので「カベヌリ」もひょっとして九州に出たのかという推定ができる程度であった。




 昨今、民俗学、特に妖怪学に興味を持つ若者達の間では、かつて柳田が行った民俗学調査の追跡調査を行う事が活発化している。この2年程の間に、ヌリカベについて全国の妖怪愛好家が探索の手を伸ばしたが、発見には至らなかったのである。
 この戦後50年~60年の間にヌリカベの伝承は消えてしまったのであろうか?或いはヌリカベという妖怪は柳田国男の誤認、誤記、或いは証言者の勘違いであったのであろうか?

 そんな折り、「カベヌリ」との衝撃的な出会いが私に訪れたのである。化け猫の調査の課程で知人から大分に妖怪で町の振興を行っている「臼杵ミワリークラブ」というグループがいるとの情報を得た。連絡先を入手した私は会長のW氏に連絡をとり、近日中の取材の申し込みをお願いした。
 その際に妖怪談になったのだが、なんとW氏の口から「カベヌリ」の話が出たのである。私は我が耳を疑った。大分県臼杵市には「カベヌリ」の伝承が残っていたのだ。
 W氏をはじめメンバーで老人への聞き取り調査、また地元の文献の調査も行っており、聞き取り調査でも、文献でも「カベヌリ」は出てくる地元では有名すぎる妖怪であったのだ。しかも「カベヌリ」の絵はがきも観光土産として発売しているというのだ。つまり、あまりにも地元では有名であるが故、丸山学の調査以来、確認されてない妖怪という観念は彼らには無く、私の指摘によって初めて気づいたのである。
 これで「カベヌリ」が伝承されている場所は発見された。

 ひょっとしたら、「ヌリカベ」もいるのでは?私は後日、臼杵ミワリークラブの重鎮S氏に「カベヌリ」の絵はがきの購入と「ヌリカベ」の調査の依頼を行った。そして送られてきた「カベヌリ」を絵を見て驚かされたのである。まさに「ヌリカベ」そのものである。聞き取り調査のイメージをそのまま再現したそうであるが、まさに「ぬりかべ」そのもののビジュアルであったのだ。

 さらにショッキングな調査結果がS氏より送られてきた。なんと「ヌリカベ」の伝承も大分県内の至るところに残されていたのである。また臼杵市内では「カベヌリ」と「ヌリカベ」の両種が混在していたのだ。残念ながら、柳田国男が伝承を見つけた福岡県遠賀では今だに発見には至ってないが、大分において伝承の存在を確認できたのである。




昭和53年臼杵市教育委員会の資料

 「臼杵石仏地域の民俗」
 「夜、道を歩いているとカベヌリにあって、一寸先も見なくなることがある。狸かキツネが金玉を広げて、目隠しをするのだから。火をつけるとよい。煙草をを一服すると見えるようになるという」
 「原の坂にカベヌリが出る。目つぶしに遇ったときは、しゃがんでいるとよい」

昭和43年 「臼杵史談」

 ぬりかべ「歩いていて突然目の前が見えなくなることがる。イタチ(香々地町)、狸(県内各地)のぬりかべという。
 臼杵市内ではかべぬりと呼ぶ。県内の各地に伝わる妖怪である。狸がきんたまを広げて(山国町)目隠しをしているので、ぬりかべに遇った時は、その場にしゃがんで煙草に火をつけると見えるようになるという

 補足するのであれば、「カベヌリ」「ヌリカベ」の名前は異種の妖怪を指すものではなく。「傘化け」と「化け傘」のように、単語を構成する言葉の上下が入れ替わっただけではないだろうか。

2000年4月27日に、伝承地が幻であった妖怪「カベヌリ」「ヌリカベ」が私と臼杵ミワリークラブの共同作業により再発見されたのである。

【後編に続く】

(山口敏太郎ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)

※画像は『妖怪談義 (講談社学術文庫) 』表紙より




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