2月14日はバレンタインデー。恋人たちが、家族が、それぞれチョコレートを贈り合い、食べて楽しむ日だが、この日に合わせて恐ろしい計画が練られていた事があった。
1977年2月14日の夕方、東京駅八重洲地下街を歩いていた男性が階段の隅に買い物袋が置いてあるのを発見。
中には市販のチョコレート菓子が大量に入っていた。バレンタインデーなので、誰かが買ったものを置き忘れただけかと思ったそうだが、不審に思って近くの交番に届けた。
全て未開封の新品で、特に異常は無さそうだったので、そのまま遺失物として保管され、落とし主も現れなかったのでメーカーに送り返された。
しかし、メーカーの社員がチョコレートを確認すると、箱を包むセロファンが一部破れていたり、製造番号が消されていたりしたのを発見。社内で分析した所、袋の中に入っていた40箱のうち4箱から毒物、青酸化合物0.3グラムの混入されたチョコレートが入っていた事が判明したのである。
さらに、うち一箱には脅迫文のようなものがゴム印で書かれていた。そこには「オコレル ミニクイ ニホンジンニ テンチュウヲ クタス」とあった。
改めて警察が捜査を開始すると、14日に神田駅で同じ商品を発見し、食べた男性が意識不明となり病院に搬入されていたことが判明した。
幸い男性は回復したため、病院も食中毒と診断していたのだが、男性が食べたチョコレートの残りを分析した所、微量の青酸化合物が発見されたため、同一犯の可能性が高いことがわかった。
このチョコレート事件で被害が出たのはこの一件のみであった。
折しも1977年の1月には青酸化合物の入ったコーラが都内各所に置かれ、飲んだ人が死亡するという事件が起きている。
また、この時期は反日武装グループによるテロも多かった。しかし、犯人は今に至るまで不明のままとなっている。
もしかすると、社会人が東京駅でチョコレートの入った袋を発見し、交番に届けたことで被害の拡大を防ぐことに成功していたに違いないのだ。
(田中尚 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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