2月14日は聖バレンタインデー。恋する女子が好きな男子に好きな気持ちを込めてチョコをプレゼントしたり、また普段世話になっている男性に感謝の気持ちを込めてチョコを送ったりする日だ。もっとも、ご本家の欧米では男性から女性にチョコレートを送ったり、互いに交換し合うのが一般的だとされている。
そんなロマンチックな日にそぐわない、血なまぐさい事件がかつてアメリカで起きていた。
1929年2月14日のバレンタインデーの日に、シカゴのクラーク通り北2122の倉庫。ここで秘密裏に密造ウイスキーの売買が行われようとしていた。男達はバグス・モランが率いるノースサイド・ギャングに所属するギャング達であった(現場にはたまたま居合わせたギャングではない一般人も含まれていた)。折しもアメリカは禁酒法の時代、密造酒の製造と売買はギャングやマフィア達の格好の資金源であった。彼らはこの倉庫で密造ウイスキーを受け取り、モランの所有する倉庫に運ぶ事になっていたのだが、現れたのは酒を運んできた仲間ではなく5人の警察官だった。見つかっては仕方ないと、彼らは素直に警官の指示に従った。
だが、その時複数のサブマシンガンやショットガン等が火を噴いた。5人の警官は対立するギャングが変装した偽の警官だったのである。100発近い銃弾が浴びせられ、6人がその場で死亡。生き残った1人も病院で3時間後に亡くなった。現場にはおびただしい血が流れており、この事件は「聖バレンタインデーの虐殺」「血のバレンタインデー」等と呼ばれ、最悪の抗争事件となったのである。
当時、シカゴではモラン率いるノースサイド・ギャングと有名なアル・カポネ率いるサウスサイド・ギャングの抗争が激化していた。カポネは頻繁にモランからの襲撃を受けており、このままでは危ないと思ったカポネが手下のヒットマンらに命じて殺害させたのだった。なお、モラン本人は当日待ち合わせに遅れたため、難を逃れている。
二つのギャングの対立は一般人にも知られており、皆がカポネの仕業ではないかと疑ったが、カポネは事件当時フロリダで事情聴取を受けていたとして己のアリバイを主張。ヒットマンらも同様に無罪となり、抗争の罪で逮捕者が出ることはなかった。しかし、マスコミの報道によって凄惨な事件の内容が世間に注目された事も手伝って、警察はカポネ検挙に力を入れる事となる。
なお、事件現場となった倉庫は1967年まで存在していたが、現在は取り壊されてしまっているという。
(田中尚 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
※画像は『聖バレンタインの虐殺/マシンガン・シティ [DVD]』のパッケージ写真より