14日に発生した熊本大地震で熊本県のシンボルと言える熊本城の石垣が崩壊した。
その被害は甚大で、復興には多額の費用と大勢の石組み職人の作業が必要になってくるという。熊本城を訪問する外国人観光客による経済効果が膨大であっただけに、熊本県は早い復旧を考えているが、まだまだそこまでは手が回らない状況だ。
かつて熊本城は、当時の最先端土木技術を駆使した建造物として大変堅固なものだと評価されてきた。ところが今回の地震による石垣崩壊により、地元では不気味な噂がささやかれているのだ。
それは、熊本城関係者が今も恐れる横手五郎の怨霊の復活である。
この横手五郎はかつて加藤清正が天草衆との合戦において、討ち果たした武将・木山弾正の息子であり、熊本城の築城の際に生き埋めにされたとされる人物なのだ。
その怨霊伝説を紹介してみよう。
熊本城を築城していたとき、ほかの人間の二倍も三倍も働く若者がいた。不審に思って調べてみると、なんと加藤清正が打ち取った木山弾正の息子・横手五郎であった。ひょっとすると清正の暗殺を考えているかもしれぬと判断した清正の重臣たちは、五郎に井戸を掘らせた。
深く掘り進んだところで、家臣たちはここぞとばかりに上から石を投げ込んだ。だが、怪力の五郎は石を受け止めるとそれを足元に置きながら、地上にあがってくる。これはまずいと判断した家臣たちは、砂を流し込み五郎を生き埋めにしてしまった。
ちなみに五郎が生き埋めにされたと伝わる井戸は、今も熊本城に残されている。
その後、横手五郎の怨霊は加藤家に触りをなし、加藤家を廃絶に追い込んでしまった。ここ数百年は五郎の怨霊の噂は聞かなかったが、今回の熊本城崩壊により、再び横手五郎の怨霊が復活するのではないかと地元の郷土史家や伝説民話の研究家は危惧している。
伝説にあふれる熊本城の復興を心から願いたい。
山口敏太郎