妖怪・幽霊

【ちょっと怖い実話】学校の耳

 ある小学校が、老朽化のため改築されることになった。同じ敷地内に校舎を新築し、落成してから旧校舎を取り壊す。工事の期間はちょっと校庭が狭くなったが、そのかわり体育のマラソンで町中を走ったり、授業では裏山や近所のお寺の境内に行ったりもしたので、児童は喜んでいた。

 やがて、敷地の一区画に白くて新しい校舎が完成した。設備が立派になった理科室や家庭科室、机が入るのを待つ多くの普通教室。先生達も日頃から仕事の合間をぬって機材や備品、道具を旧校舎から新校舎へ引っ越しさせていた。

 そして、いよいよ翌日。日曜日に地域の人も交えての落成式を迎えるに至った。先生達の仕事も一段落だ。特に引っ越し作業を頑張った若い先生達は、一足お先に近所の居酒屋で打ち上げをした。とは言え、翌日には落成式を控えているし、昼間の疲れもある。全員お酒はほどほどにして、早めに切り上げる事にした。

 だが、若い体育の先生がひとり、昼間にひときわ頑張っていたせいか、少し酔いが回って気分が悪くなってしまった。家は少し離れた所にあるし、どのみち酔っているので運転して帰る事はできない。

「しゃあないな、保健室に泊まってき」

 そう言って、保健の先生が鍵を渡した。それは、まだ誰も使っていない新築校舎の保健室のものだった。

「布団やシーツはみんな新校舎にやってもたからねぇ」

 新校舎の中でも、保健室は特にいつ何時必要になるかわからない所だ。場合によっては、落成式の最中に気分が悪くなった人を運び入れたりする必要があるかもしれない。そのため、保健室は早い段階で引越し作業を終えていた。

「子供らよりお前が一番乗りかいな」
「落成式の前に汚すんじゃないぞ〜」

 相席した先生達に口々にからかわれ、体育の先生は苦笑いしつつも新校舎の中に入っていった。

 新校舎の中は驚くほど静かだった。新築なせいか生活感もなく、妙な雰囲気が漂っている。そのせいかどうかは解らないが、正直、居心地が悪く感じられたらしい。それでも酔いには勝てず、先生は真新しい保健室の布団にくるまった。日中の疲れもある、すぐ眠れそうだ・・・・・・。そう、先生は思った。

 その時。不意に、廊下から奇妙な音が聞こえた。初めはかすかなものだったが、次第に大きくなってくる。

 ぱたぱたぱたぱた・・・・・・。

 廊下を走る、足音だ。先生は、初めはすわ泥棒か不審者か、と思って跳ね起きた。耳を済ませていると、小走りの足音がぱたぱたと保健室の前を通り過ぎていく。そして、廊下の突き当りまで行くと再び保健室の前を通って、もと来た方へと帰っていく。

 ぱたぱたぱたぱた・・・・・・。ぱたぱたぱたぱた・・・・・・。

 前の廊下を、足音が往復している。

 (これは、いかん)不審者が入ってきているに違いない。現場を押さえるか、捕まえるかしなくては・・・・・・。そう考え、先生は戸口に寄った。廊下を走ってくる足音が保健室のすぐ前まで来たところで、先生は思いきり戸を開けた。

「こらぁ!! 誰やぁ! ・・・・・・・・・・・・えっ?」

 先生は、思わず息を呑んだ。廊下には、誰もいなかった。

 目の前には、無人の暗い廊下が広がるばかりである。非常口の明かりでぼんやり緑色に光る廊下は物音ひとつせず、しん、と静まりかえっている。気のせいか、酔ってるからな・・・・・・そう考えて先生が戸を閉め、再びベッドの方へ向き直った、時。

 ぱたぱたぱたぱた・・・・・・。

 廊下の奥から、再び足音が聞こえてきた。やはり次第に大きくなり、こちらへ近づいてきていることがわかる。先生は戸口に向き直ると、戸に付いているガラス窓から廊下の方を見た。向かってくるのは誰なのか、しっかり確かめてやる・・・・・・そんな気持ちで、廊下の方に視線を送る。

 ぱたぱたぱたぱた・・・・・・。

 足音が前を通り過ぎた。しかし、人影はなかった。通り過ぎたのは、足音だけだった。それが、もう一度、廊下の突き当りまで行って帰ってくる。足音が廊下を駆け抜けていく。

 ぱたぱたぱたぱた・・・・・・。

 ふと、先生はこの足音が何かに似ていることに気づいた。自分が日ごろよく聞いている音・・・・・・そうだ、子供の足音だ。廊下でかけっこをしている、子供たちの足音———。

 ぱたぱたぱたぱた・・・・・・。

 一気に酔いが醒めた。

「旧校舎って言うならともかく、一度も使っていない新築の方の校舎でしょう。訳がわからなくなっちゃってねぇ」

 酔いも疲れも、気持ち悪さも、全部吹っ飛んだ。とてもそのままではいられなくなって、先生は慌てて保健室の電気という電気を点けまくった。そして、煌々と灯りが点く中で、朝までまんじりともせず過ごしていたそうだ。

 電気は灯っていたが、廊下の足音はずっと聞こえていたという。

 落成式の前、職員室に集まっていた先生たちの前で、先生はとりあえず昨夜の事の次第を話したという。案の定、「寝ぼけてたんじゃないのか」などと言われたが、先生本人は首を傾げるしかなかった。すると、

「懐かしいねぇ・・・・・・よく似た事が、私にもあったよ」

 職員室に来ていた一人の老人が口を開いた。彼は新校舎の落成式に来ていた地域の人で、元教師であった。かつてこの学校で教鞭をとっていた事もあったという。そして、彼も教師だったころに、同じような“音”に出会ったことがあるという。

 朝早く出てきたとき。宿直で、学校に一人残っていたとき。周囲には誰もいないのに、足音が通り過ぎる。声だけが通りすぎる。ある時は声に囲まれた事もあったという。恐ろしいと想う気持ちを押し殺して、声に耳を澄ませてみた。すると、声の中に自分が担任しているクラスの子供達の声があったことに気づいた。昼間に子供たちが話していたことが、声だけ抜き出したかのように、空間に漂っている・・・・・・。

「考えてみれば、私らは、常日頃学校の中にいるわけです」

 老教師は長いため息をつくと、感慨深げに言った。

「学校そのものが、いつも私らのやることに耳を澄ましていて、気まぐれに思い出している。あの“声”は、そんなもんじゃないかと、思うんですねぇ。学校が聞いている、いえ、学校は聞いていると言うべきでしょうか」
「まるで耳があるみたいにねぇ・・・」

 懐かしそうに笑いながら、老教師は言った。

(ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)

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