古くから大和朝廷に関わり、支えてきた氏族は多数いる。
有名な所では、後に藤原氏となった中臣氏や蘇我氏、物部氏などがあるが、中でも一番謎に満ちた氏族が忌部氏である。忌部氏は中臣氏と共に、古来より宮廷祭祀に携わり、祭具の製造や神殿、宮殿の造営や建築を行ってきた。
名前の由来も「ケガレを忌む」ことから来ており、祭祀に不可欠な禊ぎや穢れを祓う存在であることを意味していたと考えられている。
しかし、同じく宮廷祭祀を生業としてきた中臣氏に政争で敗れ、後に子孫も斎部の姓を名乗って衰退していくこととなる。そのため、国政への貢献度の割に謎が多い氏族でもある。
忌部氏は麻の栽培やテツの加工などの技術を持っていたとされており、日本全国に忌部氏による功績と思われる記録が各地に残っている。
一説には作者不明の『竹取物語』はその記述より忌部氏に連なる者の手によって作成されたのではないか、とも言われている。
歴史の表舞台から姿を消した忌部氏。しかし、その功績を思うと歴史の陰で暗躍していたと取れなくもないのである。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)
画像『安房国忌部家系』表紙より