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戦国最強の騎馬軍団を生んだ莫大な軍資金が眠る?!「武田信玄の埋蔵金」とは

武田信玄は、甲斐を拠点に信濃、駿河、西上野、東美濃などを治めた戦国大名である。信奉・愛読した孫子の一節「風林火山」を旗印に掲げ、その稀代の戦略家ぶりと併せて当時屈指の騎馬軍団を有していたため、戦国最強との呼び声も高い人物として知られている。

戦国一とも言える騎馬軍団を率いることが出来たのは、黒川金山や梅ヶ島金山などで金山衆と呼ばれた鉱山師たちを大量に雇い、膨大な金を算出していたからであると言われている。1570年代には、津具金山を発見し、24万両(およそ240億円)分の金を採掘したとも言われている。

そうした金の力によって全国統一に最も近い武将と称えられた信玄であったが、結果的に武田家は息子勝頼の時代に滅ぶこととなってしまった。この滅亡直前に、武田家が前記のような莫大な金・財宝を隠したのではないかという伝説が語られるようになり、埋蔵金伝説の一つとして現在も知られるに至っている。

この武田信玄の埋蔵金は、各所に隠したとも言われていくつもの候補地が挙げられている。いくつかの例を見ると、現在黒川金山遺跡のある山梨県甲州市の鶏冠(けいかん)山に埋めた、諏訪湖に大量の甲州金を沈めた、軍用道路として整備したぼう棒道に埋めた、配下に命じて隠したなど様々である。

いずれも伝説の域を出ないものの、非常にその数は多い。この他逸話として、徳川家康の伊賀越えの際に、別行動をとっていた武田の家臣である穴山梅雪を倒した盗賊が、彼の書付を見つけて埋蔵金の三分の一を手に入れたという話も残されているという。

1971年、甲州市勝沼町のとあるブドウ園でゴミを埋めるための穴を掘っていた際に「ひるも金」と呼ばれる金貨ほか計18個もの宝が発見され、信玄の埋蔵金の一部ではないかと話題となったこともある。ただ、家臣の隠し財産ではないかとする説もあり定かではない。現在までに、武田信玄の埋蔵金として認められるものは発見されていないのが現状である。

なお、埋蔵金の在処の一つとして挙げられている諏訪湖には、武田信玄の遺骸を納めた棺が沈められるという「水中墓」伝説が残っていることも興味深い。近年でもたびたび調査は行なわれているものの発見には至っていないが、もし信玄の棺と共に埋蔵金も発見することが今後あるとすれば、大スクープとなるだろう。

【参考記事・文献】
湖の底に武田信玄の墓? 子どもの頃に聞いた昭和の謎「捜索」、社長が追う歴史ロマン かつて騒がれたひし形の巨大構造物は…
https://news.yahoo.co.jp/articles/0a7dce0fdf6f309261b7e5f7ccd494629ed0fbeb
豊富な資金と圧倒的な戦力…戦国最恐と呼ばれた将軍・武田信玄が隠した埋蔵金伝説
https://mag.japaaan.com/archives/171824/2
武田信玄の埋蔵金
https://seo-sem.co.jp/contents/shingenlife/yukari/maizo.html

【文 黒蠍けいすけ】

画像 matsuemon / photoAC