サブカル

母国・世界よりも先に日本で売れたロックバンド「ボン・ジョヴィ」

2023年12月、世界的ロックバンド「ボン・ジョヴィ」のX公式アカウントにてあるPOSTが話題となった。

その内容というのは、お笑いタレントなかやまきんに君に対してのメッセージであり、「きんに君のおかげでレクチョコ1位を獲得できた」という感謝を込めたものであった。

これは、彼が「ヤー!!」という掛け声をボン・ジョヴィの曲「It’s My Life」に合わせて叫ぶという持ちネタに起因したものとなっており、きんに君が大ブレイクを果たすきっかけとなったと同時に、改めて日本においてボン・ジョヴィの関心が高まる要因ともなった。

メインボーカル兼リーダーであるボン・ジョヴィは、非常に親日家であることが知られている。

その理由はズバリ、初めて売れたのが日本であったからだ。1984年、ボン・ジョヴィはアメリカでデビューアルバム『夜明けのランナウェイ』(原題:Bon Jovi)をリリースしたのだが、全米チャートでは43位という順位にとどまり、さほど認知されることがなかった。

このデビューアルバムが日本で注目されることとなったのだが、その発端は意外なものであった。1985年に放送されたテレビドラマ『乳兄弟』にて、歌手麻倉未稀(あさくらみき)のシングル「RUAWAY」が主題歌として使用されていたのだが、この曲が実は先のボン・ジョヴィの『夜明けのランナウェイ』のカバーだったのである。




ドラマ主題歌やCM効果などもあり、ボン・ジョヴィの名は日本中の茶の間に広まることとなり、洋楽に興味が無かった人でさえ「ボン・ジョヴィは知っている」というほどに効き馴染みあるバンドとして浸透していった。

キャッチーで口ずさみやすい音楽性やそのメンバーの甘いルックスが強く支持されたボン・ジョヴィは、「SUPER ROCK ’84 IN JAPAN」出演のために来日した際には、日本のファンからの熱い大歓迎を受けて感激をしたという。2ndアルバム『7800°ファーレンハイト』には、日本への思いを込めた「YOKYO ROAD」という曲も収録されているほどに絆を深めていったという。

ボン・ジョヴィが日本へ特別な思いを持つようになったのには、母国アメリカや世界で売れるより前に歓迎されたこと以外にもある。彼は、マナーの悪いファンのいる国が多い中で、日本のファンはどこの国よりも一番マナーが良いとコメントしている。

日本限定販売の商品や先行販売アルバムなどもあり、それを買うために日本へ来る海外のファンも多いという。海外においても、ボン・ジョヴィが日本好きであるという話はよく知られていることであるそうだ。

この他にも、1995年の阪神淡路大震災においては、チャリティーコンサートを行なって義援金を寄付、2011年の東日本大震災でも、復興支援のためのチャリティーアルバム『ソング・フォー・ジャパン』をリリースしている。

「クイーン」も、世界中で知られるようになる前は母国よりも先に日本で売れたことで有名でり、彼らもまた、の日本贔屓であるということはよく知られている。「ボン・ジョヴィ」もそうであるが、日本において売り込もうと努めた業界の懸命な働きがあったことは確かであり、それに当人たちが持っていた本来の魅力などが、上手い事積み重なったことで日本で売れるようになったという見方はできる。

単純にルックスが良い、音楽性が親しみやすい、といったことだけが原因でないことは確かだろう。だが結果として、それによって日本人側も彼らを愛し、そして彼らも日本に愛着を抱いてくれるのは非常に喜ばしいことである。

【参考記事・文献】
ボンジョヴィは親日で日本好き~来日エピソードまとめ
https://celeby-media.net/I0000968
ロックの殿堂入りも果たした親日家のボン・ジョヴィ、5年ぶりの日本公演!
https://hominis.media/category/musician/post2545/
ボン・ジョヴィ、なかやまきんに君へ感謝のメッセージ 『It’s My Life』が年間1位に
https://news.yahoo.co.jp/articles/ec5bdb6f3d36330d4a306b86c581071ed4d004cf

(黒蠍けいすけ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像 ウィキペディアより引用 CC 表示 2.0