沖縄で3番目の規模をほこる石垣島を中心とした八重山諸島は、日本最南端の波照間島や日本最西端の与那国島を有する島嶼(とうしょ)郡である。
八重山諸島は、以南の文化の影響を強く受けているといった、沖縄本島とはまた異なった独自の文化を形成していることでも知られているが、時代が下り戦後についても本島とは異なった状況下に置かれていた。
太平洋戦争終結後の当時、八重山諸島は米軍の実効支配が及んでおらず、また支庁の機能も停止していた無政府状態に陥っていたため、12月、諸島住民によって自警団から始まる自治組織が設立された。
この組織・八重山自治会はわずか8日間というきわめて短期間ではあったが、日本国や米軍の実効支配が及ばない組織であったことから、この時期の自治会は「八重山共和国」とも呼ばれていた。
戦後、沖縄本島は米軍の支配下に置かれていたが、他の南西の離島については米軍の進軍が遅れており、きわめて混乱に陥った時期となっていた。治安の悪化や食糧不足が問題となったほか、特に重大な問題となっていたのは戦争マラリアと呼ばれる感染症であった。
太平洋戦争時、島民の中には台湾へ疎開する者も多かった一方で、残った人々は党内の産地へ疎開することとなった。だが当時の八重山諸島は、西表島をはじめとしてマラリアの発生地域として恐れられており、諸島へ疎開した人々の多くが媒介元のハマダラ蚊の被害に遭い、2500人を超える死者が出たと言われている。
こうした戦後、無政府の状態となった八重山諸島の住民たちによって結成された八重山自治会は、治安の確保や引揚者の帰還促進そしてマラリア患者への対策といった、まるで一つの国家が担うような目標が立てられたのである(マラリアは現在撲滅されている)。
そして、自治会の結成から8日後になると米国海軍軍政府の統治が宮古・八重山諸島に及んだことで海軍軍政府の樹立が宣言され、その軍政府の下で八重山支庁が復活することとなった。これによって、八重山自治会は解散となり、現在では「幻の八重山共和国」と呼ばれ語り継がれることとなった。
因みに、「八重山共和国」とは、これらのことを比喩して呼ばれる俗称となってはいるが、これはあくまで俗称であり実際に当時の住民たちによって独立主権国家の宣言がなされたというわけではなく、そのような事実はない。
現在、一部で沖縄のローカル紙は、思想的に偏っているという意見がたびたびなされているが、それらに対して八重山日報社の日刊紙「八重山日報」が批判を繰り広げている部分も見て取れるという。
こうした点に、八重山がかつて「共和国」と比喩されたことにも劣らない、独自の思想や体質がかつての体験の反映として現れているのではないかとも考えられているようである。
【参考記事・文献】
八重山の歴史
http://okinawainfo.net/yaima/yaima-rekishi.html
幻の「八重山共和国」!石垣島は独立した事があった?
http://isigakijima-navi.seesaa.net/article/375825088.html
(ZENMAI 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像 ウィキペディアより引用