日高見国(ひたかみのくに)とは、古代日本にかつて存在していたとされる国の一つである。かつては西の大和政権と同等かそれ以上の広域な勢力を誇っていたとされており、東にあるもう一つの日本とも称されている。
『日本書紀』には、東北を視察した武内宿禰(たけうちのすくね)により、「髪を後ろで結い刺青をした人々がいる」「東の土地に肥沃で広大な土地である」との報告が景行天皇になされ、その後日本武尊の東征によって平定されたと記されている。日本書紀の記述はこれだけであり詳細が不明であるが、この他にも日高見国に関して記された資料がいくつか存在している。
ヲシテという神代文字により五七調で記された文献『ホツマツタエ』では、世界の始まりの地として日高見国が登場し、日本書紀における初めての神とされる国常立尊(くにのとこたち)が世界を作り始めた地であると説明されている。祝詞『大祓詞』(おおはらえことば)にも「大倭日高見国」という言葉が記されている。
これは、大和と日高見国が併合されたことでの呼び名であるとも言われている。中国の『旧唐書』には、倭国伝と日本伝が互いに別として書かれており、倭国とは別に日高見国が確かに存在していた事実を確かなものとしている。
日高見国が具体的にどこに存在していたかは諸説存在し、日立(ひたち)の語から推測されることで常陸国つまり現在の茨城県、日高見国が蝦夷(えみし)とも呼ばれたことから北海道、そして最も有力と言われている青森県がある。1992年に発掘された青森県の三内丸山遺跡は、それまでの縄文文化像を大きく覆し高度な技術や文明が古代に存在していたことを知らしめた。この三内丸山遺跡こそが、日高見国の存在を確実なものとしているという説が強いのだ。
そもそも、なぜ日高見国についての詳細な情報の記述などが無いのだろうか。一つには、日本武尊の東征によって敗戦したために権力側以外の情報として省かれたというものであり、これは歴史上よくあることだ。もう一つは、実は日高見国が逆に大和を支配したというものである。
通説では、倭国が日高見国を支配し、卑しい意味を持つという倭の字を改めるために「日高見=日の本」という名を奪い日本という国号を付けるに至ったと説明されている。しかし、そうではなく日高見国が支配したことにより日本という国号が冠されたのだというのが後者の説だ。もしこの後者の説が本当であるとすれば、それは密かに政権が入れ替わったことを意味し、国家の由緒を左右する問題として避けられないものとなるだろう。
日高見国の真相は、まだまだベールに包まれている。
【参考記事・文献】
・日本最古の文明?縄文時代の東北に存在した「日高見国(ひたかみこく)」とは
https://sengoku-jidai-kassen.com/shinwa/20171203/
・東日本にあった日高見国~西日本のヤマトと合併して日本に?
http://hidejinja.com/post-2467-2467.htm
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(にぅま 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像 楊洲周延 – http://www.univie.ac.at/rel_jap/gesch/staatsshinto.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=132686695による