スピリチュアル

「私の幽体離脱体験談〜祖父に逢いに神戸から岐阜まで飛んだ話〜」

岐阜の慈光です。さて、今回は私の不思議な幽体離脱の体験談をお話をしたいと思います。

ATLASラジオ、3edの104回で、敏太郎先生自らが語られた幽体離脱の体験談を聞き、私の幽体離脱の仕方と少し違うのを感じました。これはもしかしたら、幽体離脱は人によってやり方が違うのではないだろうかと、私は思いました。

敏太郎先生のやり方は、フワフワと体が波打った状態の時に足の指に集中して、その波に乗ると霊体が体から抜け出たとおっしゃってましたね。私のはちょっと違っていて、自分の気を体の中央に集め、それによって出来た気の塊を見えない壁から無理矢理すり抜けさせて幽体離脱するやり方でした。これが、人によって幽体離脱の仕方が違うのかもしれないと思った由縁です。

これから話すお話は、そんな幽体離脱の仕方を自分で見つけ、その力を使って大好きな祖父に会いに行こうとした体験談です。

私の初めての幽体離脱は、今から半世紀近く前で私がまだ幼稚園児の頃でした。

ある日、母の鏡台の鏡を見ていたら、ふと、『何でこの世に生まれてきたんだろう?生まれたら、いつかは死ななきゃいけないのになぁ』と、そんなことを頭の中で考えていた時がありました。おかしな話ですが、幼稚園児がそんな哲学か宗教者みたいなことを突然思うなんて、自分自身も変な子供だなぁと感じておりました。

そんな頃、体があることを苦痛に思い、体からなんとか抜け出ることが出来ないものかと四苦八苦していた時がありました。何故、体があることを苦痛に思ったのかと言うと、ある絵を見たのがきっかけだったのです。

当時寝具として使っていたマットレスの側面に、天使がベッドの上でフワッと浮いた状態のイラストが描いてありました。多分、製品のマークみたいなものだったと思います。その絵の天使があまりに心地良く見えたので、私もあんな風にフワッと浮いてみたいなぁと思ったのでした。

天使の絵を真似て、私も布団の上にうつ伏せに寝てみましたが、当然フワッと浮くことなど出来ず、ズシッと布団に突っ伏していました。その内、体から抜け出れば軽くなるのでは?と考え、一心不乱に体から抜けるイメージをしておりました。

グーッと自分の気を体の真ん中に集中するイメージをして、次に体から抜け出るイメージをしてみました。それは見えない壁をすり抜けるような感じでした。固くて中々すり抜けられない壁を私はただひたすら抜けよう抜けようとイメージしていました。それを私は毎晩布団に入ると、体から抜け出る練習ばかりをしていました。

ある夜、いつものように必死に見えない壁をすり抜けるイメージをしていた時、突然ポコッと体から抜け出ることができたのでした!体から抜け出ると、それはそれは軽くなりスウ〜と体が浮くのです!

「わぁ〜!なんて軽いの〜?」

私はあまりの軽さにしばらくフワフワと部屋の周りを漂いながら浮いていました。ハッ!と気がつくと足元に自分の体があることに気がつき、突然元に戻らなきゃ!と思い、スッと自分の体に吸い込まれていき、我に返ったのでした。

それからと言うもの、私は毎晩布団に入ると気を集中して見えない壁をグーとすり抜け、幽体離脱しながら部屋の中をフワフワ浮くのを半分遊びのように楽しんでいました。

それからしばらくして、大阪で万国博覧会が開かれた時のことでした。大阪万博は、1970年3月15日から同年9月13日の計183日間に及ぶ日本で初めて開催された大規模な博覧会でした。来場者数は実に6400万人にもなり、このATLASラジオを聴いている中高年の方たちも子供の頃、一度は万博に訪れたことがあるのではないでしょうか。

その頃、私は兵庫県の西宮市に住んでいて、万博会場からも近かったので、よく父方の親戚や母方の親戚など、我が家に一泊してから万博会場へ行く機会がよくありました。時には、親戚一同が集まって総出で万博を見に行ったこともありました。




そんなある日、よほど万博が気に入ったのか、母方の祖父がたった一人で岐阜から再度万博見たさにやって来たのです。今で言う”リピーター”であります。

一日中、私たち家族と一緒に万博を見て回った祖父は、新大阪の駅で新幹線に乗るため、私たち家族と別れました。私は、一人電車を降りて去って行く祖父の後ろ姿を見て、泣き出したくなるくらい寂しさが込み上げてきて、心の中で、『おじいちゃん、行かないでよ!』と、叫んでいました。

その日の夜は大好きな祖父と別れたのが悲しくて寂しくて、布団に入ってからも、おじいちゃんに会いたいよと、一人で泣いていました。

その時、ふと私は、『いつもやってる魂が抜けるやつをやれば、おじいちゃんに会えるかも知れない!』 と思い、早速幽体離脱を試みました。いつものように気を集中して壁をすり抜け、魂を体から抜け出させました。

その時でした!それまで幽体離脱しても部屋の中をフワフワ浮いてるだけだった私が、おじいちゃんに会いたい!そう念じた途端に体はスーッと高く登り、家もすり抜け、猛スピードで上空を飛んで行ったのです!

下を見下ろすと、大阪の街の明かりが見えました。後ろを見ると、足の先から白いキラキラ光る紐のようなものも見えました。多分、この光る紐は自分の体と繋がっていたものだったのでしょう。

岐阜の祖父の家には、あっと言う間に着きました!西宮から岐阜まで新幹線や在来線を乗り継ぎながら行っても数時間かかる距離を幽体離脱をした状態なら、あっと言う間に着いてしまう事に私はびっくりしたのでした!

こんなに簡単におじいちゃんの家に行けるなら、これから何度でも行ける!そう考えた私は嬉しくなりました。

さて、祖父の家に着いた私は、祖父母の家族がいた居間ではなく、隣の部屋に降り立っていました。その部屋は、祖父母宅に遊びに来るといつも泊まらせてくれた懐かしい部屋でした。しばらく部屋の中をボーと見ていた時、突然その部屋の襖がスッと開いて光が差し込み、誰かが入ってくる気配を感じ、私は慌てふためきました!

『まずい!私がここにいたら、おじいちゃんの家の人たちがびっくりする!』

と思い、咄嗟に上昇して部屋を突き抜け、屋根も突き抜け、急いで西宮にある自分の家に帰って行ったのでした。

自分の体に戻った私は、無事に戻れたことに安堵したのですが、すっかり怖くなってしまいました。こんな事を遊びでやってちゃダメだと気がつき、あれ以来、私は体から抜け出てふわふわ浮いたり、どこかに行ったりすることをパッタリやめてしまいました。

これが私が幼稚園児の頃に経験した幽体離脱の体験でした。

(アトラスラジオ・リスナー投稿 慈光さん ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

Photo credit: FolsomNatural on VisualHunt