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ドラキュラの正体はキリストだった!?「ソロモンの秘宝」と吸血鬼の秘密

大昔の人々は嵐になると、「山の魔物が怒っている」と魔物の存在を信じ恐れていた。私達現代人は、嵐の原因は気候による自然現象である事を理解している。

そこで筆者は、オカルトという視点から歴史を考察する際に、当時の人々の目線に合わせて物事を想像してみるのも面白いかなと思い、「※失なわれた四世紀」と言われている頃やその前後の日本が海外からはどの様なイメージで見られていたのかなど色々と想像しながら考察することにした。

古代の日本という島国は金が沢山採掘できそうであったのだが、人喰い人種や首狩り族が住んでいて、上陸しようとすれば嵐などにより船隊が壊滅してしまう。まるで魔界のような島国だったようだ。このことから、悪魔や悪霊という言葉は古代日本を表現する代名詞として使用される事も多々あったのではないだろうか・・・(悪の語源については諸説あり)。

古代日本に人喰い人種が住んでいたという歴史的証拠は、東京大森貝塚などに見られる。興味深い遺跡のひとつとしては、奈良県で出土された海船石遺跡が挙げられるだろう。海船石には人型の溝が掘られており、その溝に生け贄を寝かせて、血液の凝固を防ぐ為に酒をそそいでいたそうだ。




伝統工芸にも使用されている朱は金の精錬に必要なもので、古来日本では血液に似ている朱を飲む風習があった。近年、朱は水銀なので場合により毒性を持つことが分かり、朱を飲む風習があった時代の日本人は短命であったと考えられている。

金鉱石を加工して金塊にするそうだが、最初にその様な精錬技術を有していたのはイスラエルの12部族(10支族)と伝えられており(諸説あり)、彼らにより日本などで精錬された金塊類の事は俗に『ソロモンの財宝』などと云われたりしている。また古代中国や日本などでは、金が不老長寿の仙薬に必要な材料であると信じられていたので、秦の始皇帝は日本に眠る金、ソロモンの財宝を狙い、秦の宰相である李斯に日本の分断統一を命じ、李斯はその決意として秦山の山頂に天を祀る壇として、李斯の書である刻石を建てたとされている。(諸説あり)

近年、青森県でイエスキリストの墓が発見されるなど、キリストが日本に住んでいた説が有力になってきたようだが、「悪魔城に住んでいる血液を飲むドラキュラ伯爵は、十字架を恐れて逃げる。」という物語を

『悪魔城(日本の城)に住んでいる血液(朱)を飲むドラキュラ伯爵(白人貴族)は、十字架(日本の分断統一)を恐れて逃げる(駆ける、掛ける、十字架に掛けられる)』

と解釈する事も出来てしまう。

ドラキュラとは、キリストの事を指している日本語の暗号文が暗号解読される事なく、そのまま翻訳されてしまった単語ではないのだろうか?つまり筆者は、ドラキュラはキリストの事ではないかと主張したいのである。

悪魔が十字架を恐れるというのは、日本が分断統一された事から派生した迷信とも考えられないだろうか?

古代イスラエルの最盛期を築いた第三代イスラエル王ソロモンは英知を持って悪霊を支配していたとの伝説により、ソロモン王に由来すると偽った文書類が流布するするようになったと云われているが、その英知とは金を精錬する技術の事で、悪は日本の代名詞、霊は巫女などの呪術を行う者を意味する場合にも使用された漢字なので、当時の日本で考えれば、邪馬台国の女王卑弥呼が当てはまらないだろうか?




『英知(金の精錬技術)により、悪霊(日本の呪術者卑弥呼)を支配していた。』

と解釈する事もできてしまう。

民話の花咲か爺爺(花咲かじじい)には、物語に登場する正直爺さんは李斯のことであり、また意地悪爺さんは趙高を指し、正直爺さん(李斯)が手に入れた大判小判とは、ソロモンの財宝の事だという説(諸説あり)もあるようだ。

聖書には「剣を与えた」と記されているので、徳島県の剣山にソロモンの秘宝が眠っているという伝説が生まれたそうだ。

秦の宦官である趙高が秦の二世皇帝胡亥に、鹿を見せて馬であると言った馬鹿の語源説(諸説あり)は有名な話である。そして、日本三大盆踊りに含まれる徳島県の阿波おどりの唄に「踊る阿呆に見る阿呆」という歌詞があるのだが、李斯と趙高が胡亥を手玉に取って(踊らせて)見ていたという秦の歴史を考えれば、李斯は徳島でソロモンに関する何か重要な物を探していた可能性があるのではないだろうか?

阿呆の語源としては、秦の始皇帝が安房宮を建てた事に由来するという説があるのだが、諸説あり実際には良く分かられていないので、馬鹿と阿呆という言葉には、剣山に隠されたソロモンの謎を解く鍵が隠れているかも知れない。

(前世滝沢馬琴 山口敏太郎事務所 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

※「失われた四世紀」とは、西暦265年頃~西暦415年頃まで、中国の歴史書に日本の事が登場しない空白の約150年間の事を言う。謎の四世紀、空白の四世紀とも言われる。その頃の日本では文字により記録が無かったために、中国の歴史書が参考にされているのだが、失われた四世紀と言われる約150年間は中国の歴史書にも日本についての記述として見つかっていない。

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