学校は現代における貴重な怪談の生産地であり、継承される場所である。当然「花子さん」「太郎くん」や「テケテケ」以外の妖怪たちも多く生まれている。 

 例えば、この「給食婆」は筆者の姪っ子から聞いた千葉県市川市の某小学校に伝わる現代妖怪である。話の内容は以下のようになる。




 「某小学校にある坂道の色の変わった部分を踏むと妖怪「給食婆」が出てきて害をなす。この妖怪「給食婆」は、不幸な亡くなりかたをした給食のおばさんの幽霊が、妖怪化した」

 何故、学校には多くの現代民話・都市伝説が語られているのだろうか。一般社会において通常の”村(むら)”という「集落的共同体」が崩壊した今、学校が村の替わりの「特殊な共同体」になりつつあるのだ。だから、「学校」はかつての「村」に替わり、多くの民話・伝説が生まれ、発酵している。

 しかも、この「学校」の構成員は子供だけだえる。つまり、子供たちだけの共同体「子供の王国=学校」で練られた口承話・噂が、代替わりを重ねることで、現代の伝説となっていくのだ。今までの村には、死による世代交代、世代伝承があったが、偶然にも共同体「学校」には卒業という形で、住民が代替わりをしていくシステムがある。この卒業が、従来の「集落的共同体」における死亡に該当するのだ。

 驚くべき事に、学校の集落には非業の死をとげた人物を、御霊に奉りあげるシステムがある。筆者の弟の妻、つまり義妹の証言によると、市川市内の某小学校には、亡くなった生徒の名前にちなんだ学級文庫があるという。陸上競技のハードルの練習中に、ハードルを逆向きにたて、ハードルが倒れず、そのまま頭から転倒し亡くなった生徒がいる。その死以来、ハードルとセットになった幽霊が構内に出没し続けた。つまり、死後もハードルを跳び続けた事になる。そこで、亡くなった生徒の名前をつけた学級文庫=神社と作る事で、怨霊を御霊化したわけである。見事である。学校は間違いなく、縮小された日本である。

 つまり、「学校」という共同体は、卒業という代替わりのシステムを持ち、また修学旅行、運動会という集落の「通過儀礼」も存在する。まさしく、共同体の名にふさわしい場所なのだ。だから「学校=子供の王国」にとって大人は、異人(まれびと)である。校長・先生・事務員など畏怖すべき大人を「妖怪・異人(まれびと)視」しているのだ。

 「30歳以上の大人の言う事なんか信じるな」
 「大人になりたくない」

 かつて、青少年たちが学生運動に身を投じ、事なかれ主義の大人との対決に挑んだ時、日本には間違いなく子供の王国が建立されていた。学校という集落に守られ、少年というピーターパンである事を望んだ人々。彼ら子供たちにとって大人は妖怪でしかなかったのである。

 「歴代校長の写真が夜中にしゃべる」
 「学校の事務員さんの妖怪サイトーさんというものが存在する」
 「死んだ先生が、今も授業を続けている」




 以上のように、学校に関わる大人は全て妖怪にされてしまっているのだ。大人の欺瞞、虚偽、偽善の中に妖怪の姿が見えるのであろうか。そういえば、大人が勝手に押しつける価値観「二宮金次郎の像」や「ベートベンの肖像画」は深夜に動いたり、怪異な現象を引き起こしている。大人の与えるものさえも、妖怪化しているのだ。

 いやな大人になってしまった自分にふと気づく時、自分がかつて大人の中に見たいやらしい”妖怪いやみ”や”妖怪のっぺらぼう”を見つけてしまうのかもしれない。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)

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