「人形の髪が伸びる」というのはホラーでありがちな展開だが、その元になった人形が実在する。有名な「お菊人形」の逸話だ。
この人形には悲しい伝説が語られている。大正7年8月15日、鈴木永吉(18歳)は、札幌狸小路で開催されていた大正博覧会を見物した。ふと販売されている日本人形に目が留まった。オカッパ頭のかわいい人形だったので、妹・菊子のお土産にすることにした。菊子は人形をかわいがり、一日中一緒に過ごすほどであった。
だが、翌年1月24日に風邪を拗らせ菊子は絶命。遺族はお棺に人形を入れてやろうと思ったが、入れ忘れてしまい、暫く遺骨と人形を仏壇に奉っていたが、昭和13年8月16日、永吉は一家を連れて樺太に移住することとなり、父・鈴木助七、妹・菊子の遺骨と人形を萬念寺に預け旅立っていった。戦後、帰国した永吉は人形を見て髪の毛が伸びていることに気がつき、お寺に永代供養をお願いした。
概ね、昭和の子供たちを震撼させた「お菊人形伝説」はこんな感じであった。だが、この伝説に関しては疑問の声があがっている。作家・小池壮彦氏の調査によると、1962年に発売された『週刊女性自身』(8月6日号)にこの伝説とはやや違う物語が発表されている。
「昭和三十三年三月三日の雛の節句、人形を持った鈴木助七(36歳)という男が寺を訪問、自分の娘だと言って一体の人形を預け、本州に出稼ぎに行ったという。それから、三年経った夏、住職の夢枕にびしょぬれの男が立った。男は「娘・清子の髪の毛を切ってください」と訴えた。気になった住職が人形を確認すると、オカッパだったはずの髪の毛が長くのびていたという。
驚くべきことに、一番最初の記事ではお菊ではなく、清子となっており、時代も大正ではなく昭和の設定になっている。また、樺太から引き上げてきた鈴木一家の設定が、本州に出稼ぎに行って戻ってこなかったとなっている。
その後、1968年発売の『ヤングレディ』(7月15日号)に同じ怪奇事件が掲載されるが、この時初めて時代が大正時代となり、お菊という名前が出てきている。この二本の記事はいずれも当時北海道放送の馬淵豊記者が書いたものである。
この不可解な経過に興味を持った筆者は、何故記事の内容を変更したのか、今も存命中の馬淵豊氏に質問メールを送ったことがあるが、回答をもらえなかった。また、氏の自宅に電話で質問をしたが、これまた明確な回答をもらえていない。
なお、お菊人形については実際に筆者も萬念寺を訪れて検証を行っている。その詳細な報告はまた別の機会に譲ろう。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)
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