福井のある学校の話である。
さして歴史も長くないこの高校に、一つの不思議な空間がある。
この校舎は北側に主に普通の教室が集まっている普通教棟、南側に理科室や音楽室などの特別教室が集まった特別教棟があり、4階建ての両教棟を職員室やその他特別教室が入った棟が繋いでいる。上から見ると□の形をしている、といえば適当だろう。
東側の棟は職員室や会議室があり、3階建てになっている(ただし、北棟と南棟を繋いでいるのは1、2階のみ)。
西側の棟は2階建てで、1階は特別教棟側からデッサン室、書道室、生徒会室の3教室が入っている。
が、2階には何の教室も入っていない。
半分は1階からの吹き抜けになっており、1階と同じ幅の廊下がある。
しかし、1階と同様に教室があるはずの場所には入り口も何もない。
ただ、白い壁があるだけだ。
だが、外から見ると、1階の教室の上に、確かに2階の教室が存在しているのだ。
この2階部分は完全に密閉されているわけではなく、1階の特別教室の天井にある小さな扉から出入りする事が出来た。だが、通常はその扉も施錠されているため、結局西棟の2階は大きな密室となっている。
西棟の2階がいつからこのような状態になったのかは、よく解っていない。
この学校が出来てほんの数年後には、もう教室は壁の向こうに埋め立てられていた、という事だ。
空き教室が多いから埋め立てた、というのが理由のひとつであるが、少なくとも埋め立てなければならないほどの必要性は感じられないし、入り口を覆っている壁もかなり薄く、叩けば向こうに空間が広がっているのが解るほどなのである。
この教室は、普通教棟の3階からも確認する事が出来る。
外から見ると、2階の窓全てにブラインドが下がっているのが解る。ただ、中央のブラインドのみ『下げ損ねて途中で引っかかった』ように、下部が3分の1ほど開いている。晴れた日には、光の具合によっては閉ざされた教室の中がかいま見えた。隅の方に片付けられた机と椅子が並んでいるのがうっすらと確認できる日もあった。
だが、この少し開いたブラインドは、決して『誰かがうっかり下げ損ねた』ものではない。
“2階の教室”には、回数こそ少ないものの管理のために人が入る事がままある。その時にブラインドも下げられるのだが、この場所だけは、毎回どんなにきちんとブラインドを下ろしても、必ず3分の1ほど、少し斜めに傾いた状態で上がってしまうのだという。
まるで、誰かが内側からブラインドを上げているかのように。
実際、この西棟2階は生徒の間で「なんか変」と言われており、みんな何となくこの廊下を使わないようにしていた。
怪談めいた話は特になかったものの、それでも明らかに“2階の教室”の辺りが避けられてしまう。
普段から使われているような場所でもないし、中途半端に塞ぐくらいならコンクリートなどで教室を完全に埋め立てるか、壁を外して廊下の面積を増やすなどして有効活用できるようにすれば良いのでは、と皆が考えていた。
だが、実際にそういった話が理事会やPTA等の間で議題として出ても、その度に強度の問題などで話が流れてしまうというのである。
さて、この“2階の教室”であるが、筆者の中学の時のクラスはたまたまこの教室の窓が見える位置にあった。
そのため、普段たいして意識していなくとも“2階の教室”の窓が目に入っていた、のだが。
ある日、妙な違和感を覚えて、目を凝らした。すると、“2階の教室”の、ブラインドの上がっている方の窓から。
重なり合ったブラインドの隙間から1本の指が、隙間を広げようとしているかのように、ひょっこりと出ていた。
しかし、ブラインドの下から覗く空間には、その指の主の姿は無かったのである。
西棟の2階には明るい日差しが当たっていた。そして、2階の教室の中を、僅かではあるが照らし出していた。
もしブラインドの向こうに誰かが立っているなら、必ず日差しに照らされていたはずなのに。
あれが一体何だったのか、いや『誰』だったのかは、既に卒業してしまった筆者にはもう解らないことだ。
だが、筆者の卒業後に入れ違いで入学した弟の話によると、あの2階の教室は彼が卒業するまでもずっと、同じように閉ざされたままだったという。
そして、全ての窓にブラインドがきっちり下りる事も無かったという。
“2階の教室”は今も、閉ざされたままである。
(ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)