林真須美死刑囚は因果応報か…感情論で判断してはいけない!

投稿 にうまさん

ATLASラジオで、カレー事件について渡邊りょうさんが占いをされていた回の事です。未解決事件のりょうさんによる占いは、毎度の事ながら緊張して聞き入っております。

その回で投稿されたコメントの中に、いくつか気になるものがありました。気になるというよりも、違和感を覚えると言った方がより正確かもしれません。凄く些細な事であるとは思いますが、また勘違いからくる暴論になってしまうかもしれませんが、どうかお聞きいただければ幸いです。




気になったというのは、「この人(林死刑囚)には同情できない」「自業自得だと思う」といった本当に細かい部分です。個人的に非常にモヤモヤしていました。

賢明なリスナーの多くの方々なら、周知の前提だと思われる事と存じますが、このカレー事件における最大の問題は、林死刑囚の人格なんかではなくて、法治国家としての法治機能の在り様だと思います。「冤罪を被って可哀相か否か」などといった感情論が判断の最優先では決してないと思います。同情の是非を持ち出す以前の問題です。

ただ、これに関してはそうした心情の吐露があったところで、百歩譲ってそれくらいの自由は許されるものとは承知しています。ただし、もっと奇妙に思ったのは、林死刑囚が散々それまで悪事を行なってきたから冤罪を被ったのは「自業自得だ」というコメントです。

自業自得は、自分の行ないが自分に返って来るという言葉ですが、因果間が直結しているものであるとアタシは思います。

もし林死刑囚に対してこの言葉が当てはまるとするならば、「彼女がカレーに毒を入れたから死刑判決が下された」事になっていなければなりません。自業自得で言われる「業(行ない)」は限定的なものです。彼女が明確に犯人ではない限り、自業自得なんて言葉は使い得ないはずです。




仮に、彼女がそれまでした悪行の数々がそうした冤罪に至らしめたという事で、「ニュアンスとしては因果応報の事を指したものだ」としましょう。しかしながら、それでも疑問はあります。彼女が悪行を成した事で冤罪を被ったのは因果応報である、という意見にとって一番問題なのは、林死刑囚のみに焦点を当てているということです。

そもそも因果応報の法則が、何故ここでは彼女だけに当てはめられるのか、甚だ疑問です。林死刑囚にそうした因果応報を当てはめるとするならば、毒入りカレーを食し中毒を起こたあるいは死亡した方々は、生前とんでもなく悪行を成した為にそのような顛末に遭ったという事にならなければなりません。

ましてや、いわゆる真犯人が(占い通りであれば)自らの手を汚さず、あろうことか実子の手を汚させ行なった事は、悪行ではなかったというのでしょうか、その人物への因果応報は何故不問にされるのでしょうか。正直言って、林死刑囚の人格のみ注目したそうした物言いは視野を狭め思考を停止させた妄言であるとしか思えません。

「池袋の自動車事故の飯塚某と元天皇の顔はソックリだ!犯罪者は皆顔が似るのだ!」と叫ぶ気持ち悪い輩と似たようなレベルにさえ思います。

ことは、一国家の正当性の問題です。どんなに国民の倫理性・人格性が絶賛されうるような面が挙げられようと、もはやそれは裏側の腐敗を隠蔽するごまかしでしかありません。また、個人や権力に対する単なる罵倒雑言は己の憂さを晴らす為の衝動に過ぎず、正義でもなんでもありません。

(山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像©kalhh PIXABAY


 

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