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【川中島の戦い】「武田信玄」と「上杉謙信」の一騎打ち・・・実は無かった!?

川中島の戦いと言えば、武田信玄と上杉謙信の間で行なわれた戦いのことである。1553年から1564年にかけて計5回に渡って繰り広げられ、戦国時代の特に有名な合戦の一つとなっている。

中でも、1561年の第四次川中島の戦いは特に激戦であったと言われており、謙信が信玄の本陣に切り込んで一騎打ちが行われたといった逸話が語られている。

しかし、近年ではこの両者の一騎打ちは事実ではなかったと考えられている。

第四次川中島の戦いは、謙信軍が3,400人、信玄軍が4,600人もの死傷者を出したと言われるほどの激戦だったと言われている。この時の両者一騎打ちとは、次のように語られている。

信玄の陣へ馬にまたがって突進してきた白頭巾の謙信が、太刀で信玄を斬ろうとし、信玄が手にした軍配で防いだ。そこで信玄の家臣であった原虎吉が馬を槍で突くと、その場から走り去って行ったという。

このことは、江戸時代初期の『甲陽軍鑑』や後期の『甲越信戦録』などに記されており、江戸時代の『北越軍談』では、「信玄が片手を負傷した」という記載が加えられている。「北越軍談」については、上杉方の軍記物語ということから剣心の手柄を強調して書かれているという。

川中島の戦いの勝敗については、双方がいずれも勝利を主張しており、事実上決着がついていないものとされている。




だが、よく見てみると、これら一騎打ちの記載のある史料はどれも江戸時代になって編纂されたものだ。そもそも、第四次川中島の戦いについては他に比べて一次史料がきわめて少なく、一騎打ちについて信憑性の高い確実な証拠というのは確認されていない。

こうしたことに加え、大将同士の一騎打ちということについては当時としては考えにくく、創作である可能性が高いとされている。第四次川中島の戦いの後、近衛前久から謙信にあてられた書状では、謙信が近衛に太刀打ちに及んだ旨を伝えていたようであるが、これが事実であったとしても一騎打ちの証拠とはなるわけではない。

なお、先述の「北越軍談」にて、謙信が信玄を斬りつけたという部分が加えられているのは、上杉方の軍記物語であったため、謙信の手柄を強調させる意図があったものだと考えられている一方、江戸時代に上杉家によって編纂された『上杉家御年譜』には、謙信の家臣荒川伊豆守が信玄を斬りつけたとあり、信玄を斬りつけたのはいわば謙信の”影武者”だったのではないかとの説もある。

このような一騎打ち伝説は、結局のところ戦いの決着が明確につかずに終わってしまったことによって生まれた風聞であると考えられるだろう。第四次川中島の戦いの史料として最も古い『甲陽軍鑑』でさえ、合戦前半は上杉、後半は武田の勝利として、痛み分けのような形で扱っている。

しかしながら、大将同士の一騎打ちを想起させるほどに十分なほどの激戦であったことは想像に難くない。そのようなバックボーンからある種の物語を形成したいというのは、後世の人間の願望であるのかもしれない。

【参考記事・文献】
武田信玄と上杉謙信は一騎打ちをしたのか?
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58518
【戦国こぼれ話】名勝負として有名な川中島の戦い。武田信玄と上杉謙信の一騎打ちは虚構だったのか!?
https://x.gd/RXgqT
上杉謙信と武田信玄の一騎打ちはあったのか?
https://historivia.com/uesugi-kenshin/1408/
上杉謙信と武田信玄の川中島の戦いの解説とエピソード
https://colorfl.net/uesugikenshinkawanakajima/#i-6

【文 黒蠍けいすけ】

画像 ウィキペディアより引用