人間を文字通り「豚」として扱った女殺人鬼がいる。
英国のエリザベス・ブラウンリッグは世間でも評判の良い助産師で、聖ダンストン救貧院のボランティアも務めていた。しかし、彼女には英国至上最恐ともいうべき、恐ろしい裏の顔があったのである。
エリザベスは孤児院から数人の少女を女中として引き取っていた。最初は一日5ポンドほど与えていたが、扱いは日毎に酷くなり、やがて少女達を文字通り「豚」として扱うようになったのだ。
豚小屋に入れて豚と一緒に生活させ、食事も豚の餌を与えた。そして、一日18時間も無償労働させ、逆らったり逃げようとする子供は裸にして天井から吊し上げ馬用の鞭で打ったり、水に顔を突っ込んで「水責め」を行って拷問した。
1765年にエリザベスはメアリー・ミッチェル、メアリー・ジョーンズを孤児院から迎え入れた。メアリー・ジョーンズは地獄のような毎日に耐え兼ね、幾度が脱走を試みて、失敗の度に受ける拷問にも耐えて遂に孤児院に逃げ戻ることに成功した。そして、孤児院にエリザベスが行う犯罪の全てを打ち明け、スキャンダルを恐れた孤児院院長に揉み消されてしまった。
それだけでなく、メアリー・ジョーンズの代わりに今度はメアリー・クリフォードという14歳の少女が連れて行かれてしまったのである。
この頃には女中たちの待遇は更に酷いものになり、少女達は首輪をつけわれ鎖で繋がれ、理由がなくても毎日のように鞭で打垂れた。
メアリー・クリフォードは隙を見て、来客の妊婦の一人に助けを求めたが、エリザベスに見つかり剃刀で舌を切り取られてしまった。
しかし、1767年7月、メアリー・クリフォードの叔母が姪が孤児になっていた事実を知り引き取りに来たのである。勿論、エリザベスは「そんな子は知らない」と否定。叔母はメアリーの身辺調査をし、「メアリーの屋敷から少女達の悲鳴が聞こえる」という噂を耳にした。そして、救貧院の訴えでようやく警察が動き、メアリー・ミッチェルとメアリー・クリフォードは救出された。
メアリー・クリフォードは茶箪笥の中に隠されてた。鞭を打たれて裂けた服地が皮膚に喰い込んでいた。すぐに病院に運ばれたものの、数日後に死亡した。
エリザベス・ブラウンリッグの評判は、英国で最悪の悪女として裁判では瞬時に死刑の判決がくだり、1767年9月に首吊りの刑に処された。
(深月ユリア ミステリーニュースステーションATLAS編集部)