「私にとって身も凍るような恐ろしい体験でした」
Sさんはそんな前置きをしたうえでこの話を語ってくれた。それは、Sさんがまだ少年だったころに起きた出来事なのだが、いまだにその日の事が忘れられず、折に触れて思い出すのだという。
当時Sさんは、マンションに住んでおり、弟と一つの部屋を共有して使っていた。ある日の夜中、Sさんはなかなか寝付けず、何度も寝返りを打ちながら睡魔が訪れるのを待っていた。部屋には、2段ベッドの下にいる弟の寝息だけが静かに聞こえてきていた。
(人が寝付かけずに苦しんでいるのにノンキなもんだ。もうぐっすり寝てやがる)
Sさんはそんな風に少々うらやましい思いで、弟の寝息を聞いていた。なんてことのない日常の一コマに過ぎない光景だが、Sさんはふとあることに気づき、背筋に寒気が走るのを抑えられなくなった。
弟が立てる寝息に混じり、もう一つ誰かの寝息が聞こえてくるのだ。最初は家族の誰かの寝息が聞こえているのかと思ったが、そのはずは無かった。
他の家族は皆、離れた部屋を寝室にしており、話し声さえ聞こえてきたことはなかった。そんな部屋の中に、時に弟の寝息と重なるように、時に一拍ずれるような形で誰かの寝息が聞こえてきていた。それは明らかに弟の寝息ではなかった。
Sさんは、高鳴る胸の鼓動を押さえながら、静かにベッドから抜け出して部屋の中を歩きながら見渡してみた。
やはり誰もいない。2段ベッドの上で弟が寝ているだけである。扉を開けて、隣にある台所を見てみたが、誰もいなかった。
(一体なんだろう。気味が悪いな)
そう思いつつもSさんはベッドに戻り、再び眠れない時間を過ごしたが、恐怖感がSさんを疲労させたのか、いつの間にか眠りこんでいた。
翌日、Sさんは昨夜のことを弟に話してみた。すると、弟もSさんと同じように、深夜に誰のものともわからない寝息の音を聞いたことがあるのだという。
Sさんも弟も、お互いの話を聞いて思わず寒気を覚えた。この部屋にはもしかしたら何かがいるのかもしれない。そんな気がしてならなかった。
(※続く)
(監修:山口敏太郎)
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