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【山口敏太郎パワースポット巡り】「悲劇の武将・源範頼の伝承が残る蒲桜」

 今回紹介するのは埼玉県北本市石戸宿に所在する、東光寺の境内にある一本の桜「石戸蒲桜」である。

 ただの桜ではなく、大正11年(1922)10月12日に国の天然記念物に指定された名木で、「日本五大桜」の一つに挙げられる有数の桜木なのだ。




 樹齢はおよそ800年と推定され、江戸時代には渡辺崋山がスケッチをしているほどである。ただし、戦後から平成にかけての数十年間は弱体化が激しく、4本あった幹のうち3本が枯死し、1本の幹と孫生えが残るだけとなっている。それでも、味わいのある佇まいに惹かれ、毎日数百人の見物客が訪れている。

 この桜には、不思議な伝説が残されている。源頼朝の異母弟で「蒲冠者」と呼ばれた源範頼がこの桜を手植えしたとも、桜のふもとにあった石碑が墓標であるともいわれているのだ。

 この源範頼はつくづく不幸な人物である。鎌倉幕府を開いた兄・源頼朝、名将と呼ばれた弟・源義経に挟まれ影が薄く、ドラマに出てきても凡庸な人物、愚将として描かれることが多い。だが、冷静に史実を見ていくと範頼は、平家追討では義経と同じぐらいの働きをこなしている。
 平家滅亡後は鎌倉幕府に仕えるが、兄・頼朝から謀反の疑いをかけられ、伊豆に流罪となり、謀殺されたといわれている。だが、埼玉県北本市では、同地に範頼が逃げ延び、余生を送ったと伝えられている。この不死伝説にしても、弟・義経の不死伝説に比べ影が薄く気の毒である。




 また、平家追討に出陣する前、若き日の範頼が同地で暮らしており、亀御前という妻(娘だったという伝承もある)がいたのだが、範頼が流罪となり殺害されたと聞き及び、自害したともいわれている。

 つまり、この桜は愛でる名木であると同時に、悲劇の武将・源範頼伝説が残る史跡でもあるのだ。もはや散り始めているが、風に舞い散る桜を眺めながら、古のロマンに想いを馳せるのもなかなか一興である。古木と武将伝説で生き抜くパワーをもらおう。

石戸蒲桜
埼玉県北本市石戸宿3-119 東光寺境内
最寄り駅 JR高崎線「北本」駅

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)

画像©写真素材足成