スピリチュアル

「岡山県倉敷市の古戦場の幽霊ばなし」

週末モデラーの酉戌ちゃんです。

昨年のネットニュースですが、幽霊の寿命って400年、関ヶ原の落ち武者とかがこの頃は現れなくなったからとの記事がありましたが、そうとも限らないと私は思います。

それは昭和の時代に700~800年前の源平合戦の霊体験の話があるからです。

私が中学生のころ、源平合戦の武者の霊を感じていた同級生やその親族の方々を知ってますので・・・

私の実家の倉敷市の藤戸は源平合戦の古戦場であり、いまは平地ですが一面海と島だったとのことです。種松山という山麓に平家が陣を構え、源氏は海を挟んだ対面に源氏の佐々木盛綱という武将が現地の漁師・浦男から褒美をやるからと言って、船を持たない源氏が海を馬で渡るために浅瀬を聞いて、まんまと浅瀬を聞きだし浦男を口封じに殺害。

(なお殺害された浦男の母はこれを恨み、佐々木と言えば笹まで憎いと家近くの小山の笹を一夜で抜き、その山は笹も生えない山となった笹無山という小山があります。でも現在は生えまくってます。ここの恨みはもうないのでしょうかね。この話題は【まんが日本昔話「笹無山」】で収録されてます。違法ですがYouTubeにも動画UPされてる方が居られました)

乗出岩という場所から源氏の軍が出陣したとのことです。イメージしていただくために藤戸周辺の史跡めぐり地図をリンク貼りますが

https://www.kurashiki-tabi.jp/wp-content/uploads/2019/02/fujitoshisekimap.pdf

その乗出岩から種松山の源氏の進軍経路近くにすむ方々に馬の声や鎧甲冑の音に人々の足音に悩まされていた人たちがいたというのです。

そのうちの一人が中学2年生の時に同じクラスにいた同級生なのですが、当時とてもやんちゃな男の子で当時そんな話をしてました。霊感もあって何かに憑りつかれたこともあるって・・・

彼をA君としましょう。

当時は『ホンマかなー、虚勢を張った作り話かな~?』と思ってましたが、Aくんの家に隣接する彼の親族も聞いていたり、彼の家よりもっと史跡に近い飲食店がよく経営者が代わっていて、その理由がその物音を夜に聞いて堪えられなくなったからとうわさに聞いたことがあります。




その隣接するAくんの親族の経営する食堂に私の母も平成1ケタ時代パートに出たことがあり、同様の話をそこで聞かされて来て
母が「なんかあそこの場所、夜から明け方に鎧武者の霊がでることがあるらしいでぇ~(岡山弁で)」と以下語ってました。

 ・馬の声・ひづめの音
 ・群衆が移動する音
 ・鎧のこすれるような音

そんな音が聞こえていたとのことです。
母は音を聞いたわけではありません、Aくんの親族から話を聞いてきただけで、私と同じで霊感はゼロな人ですから・・・

といったわけで、関ヶ原より400年も前の源平合戦の霊を昭和、平成初期に感じていた人がいるので、霊の寿命が400年というのも違うかもと思うのでした。

感じられない人が増えてしまったもしくは感じにくい世の中になってしまったのでないのかな?この手の霊は「残留思念」の類で、その思念を捉えられる人が減ったということなのでしょうか?とも私は思ったりもします。

そうそう、佐々木盛綱が切った男を弔ったのが経ケ島という塚なのですが、小学時代に別の同級生が幽霊をそこで見たと言ってました。ディテールはどういっていたか覚えてませんが、着物姿の女性と言っていたと思います。なんせ小学1年生の頃なので・・・

また平家陣地の種松山近くの古城池トンネル付近(ピーですかね?)では、落ち武者の幽霊を見たという人のはなしもあります(そのトンネル近くの池)。また源平とは関係はないでしょうけど同トンネルにはジェット・ババァなる幽霊?妖怪??の伝説的怪談もあります。

敏太郎先生も別番組でジェットババアを語ってましたが、それです。中坊の頃、上記A君たちと探検でそのトンネル付近にチャリで探検しに行ってみましたが、なにもありませんでした~。

なお岡山は県南と県北でだいぶ土地勘も違ってくるので、県北出身の都市ボーイズの早瀬さんは倉敷のこの話は知らないかもしれないですね~。

敏太郎先生は幽霊寿命400年の説はどう思われてますか?
 
(アトラスラジオ・リスナー投稿 酉戌ちゃん ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像 ウィキペディアより引用