俵藤太の百足退治の舞台「瀬田唐橋」





滋賀県大津市の瀬田川にかかる瀬田の唐橋は昔も今も交通の要所となっていた。特に現代に比べて交通手段の少ない昔は、琵琶湖から注ぎでる唯一の河川でもある瀬田川にかかっていることもあって、京の都の防衛の要としても重要視され、「唐橋を制するものは天下を制す」とも称された。

多くの歴史の舞台となってきた瀬田の唐橋だが、最も有名なものはやはり平安時代の武将である俵藤太こと藤原秀郷による大百足退治だろう。三上山の大百足と琵琶湖に住む龍神族の戦いで、百足の毒に苦しめられた竜神族の一人が大蛇に姿を変え、大きな瀬田の唐橋に身を横たえて勇気のある人物を探していた事から話は始まる。

そして動じる事なく大蛇の身を乗り越えた藤太を見込んで大百足の退治を依頼するのだ。藤太は苦戦しつつも大百足の苦手とする人間の唾を鏃につけ、八幡神に祈り見事大百足を討ち取ることに成功する。後に藤太は平将門が関東を制圧する反乱の平定に尽力。この時龍神の助けを借りて平将門の弱点を見破って討ち取った、との話もある。




この俵藤太と瀬田の唐橋の話には、三上山を拠点として鉱脈を探し製鉄業を行う「山の民」を屈服させた背景があるのではないか、とする説がある。鉱脈のうち、特に銀鉱脈は地表に現れる際の独特の形状から「ムカデ」と呼ばれる事があり、また製鉄・鋳造時には環境に有害な物質が排出されるため、その点もムカデの持つ毒のイメージと重ね合わせられたのかも知れない。

他にも瀬田の唐橋には昔から何かしらの「鬼」が住むとされていたようで、「今昔物語集」にも鬼に追いかけられて瀬田の唐橋の下に逃げた人が、すぐ近くの川の中から「正体不明の別の何か」が自分を探す鬼に答えるという話が載っている。もともと「橋」は彼岸と此岸を渡す境界であり、異界への入り口ともされた。そんな場所であればこそ、某かの怪異が潜むのも当然といえば当然なのかもしない。

(山口敏太郎事務所 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像『俵藤太の妖怪退治: 藤原秀郷VS百目鬼・大百足・平将門 絵物語シリーズ

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