戦国時代、同性愛は武士にとってはごく一般的なものであった。女人禁制であった戦場においては、もっぱら男同士の営みが行われていた。
 当然、戦と言っても、始終戦っているわけではない。何ヶ月も両軍が睨み合う均衡事態にも度々陥るわけであり、その際の性欲の捌け口が近くにいる男性に向けられたのは必然の成り行きであった。また、本陣に女を入れるのは不吉であるという考えもあったようだ。

 勿論、女の方がいいという武士もいたわけで、秀吉などはあまり男性との性交が好きではなかったようである。
 そういう、女好きには、戦場で売春婦を供給する業者も当時は存在していた。現代、論争の的になっている従軍慰安婦は戦国時代から存在していたのだ。



 尤も、戦国時代に徘徊した業者は、民間企業であり、売春婦も基本的には自分の意志であった。
 とにかく、人間というものは助平な存在であり、死を目前にしても性欲が萎える事はないようだ。

 因みに、男性同士の情交で有名なのは、信長と蘭丸であり、小姓に美青年ばかりが抜擢されたのは、武将の伽を勤める必要があったからである。
 信長は、蘭丸より以前には、前田利家などを小姓(こしょう)にしており、なかなか精力的な両刀遣いである。また、あの猛将で有名な武田信玄も男との関係を持っていた。信玄が家臣の高坂昌信と恋愛関係にあったのは有名な話であり、高坂は山本勘助が川中島で討ち死にした後、信玄の軍師になった程、寵愛されていた。

 となると勘助と信玄の仲も怪しく思えてくるが、大河ドラマで男同士の乳繰り合いの描写は到底無理であろう。
 また信玄が、天文十五年に春日源助に宛てた恋文も残っているという。内容はほかの男に浮気心を起こした信玄が、ごめんなさいと詫びているもので、女の子チックでなかなかかわいい。
 信玄のヒゲがかわいく思えてくるのは気のせいであろうか。



 
 なお、信玄の旗印である「風林火山」という言葉の意味は、「疾きこと風のごとく、静かなること林のごとく、侵略すること火のごとく、動かざること山のごとし」ということであるが、ひょっとして男同士のプレイ中の信玄の動きも、疾きこと風のごとく、侵略すること火のごとくではなかったのかと疑ってしまう。
 それにしても、動かざること山のごとしって、それじゃマグロではないか。

 この武士のたしなみとされた衆道の気風は、江戸期まで残り、あの松尾芭蕉でさえ、門人の杜国(幼名・万菊丸)と同性愛にふけっていたのだ。
 芭蕉の旅のイメージは、孤高で厳しい旅と思いがちだが、おじさんホモカップルの“ルンルンラブラブ旅行”だとすると、ちょっと見方が変わってしまう。

 そもそも「奥の細道」って、なんの奥なのか、どういう細道なのか・・・深読みは次々と展開してしまうではないか。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像©PIXABAY

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