江戸時代に生き残った忍びたち

 7月1日、嵐の大野智を主演にした映画「忍びの国」が公開される。

 「のぼうの城」「村上海賊の娘」などのヒット作で有名な和田竜氏の同名小説が原作で、戦国時代に伊賀忍者と織田信長軍との間に起こった天正伊賀の乱が舞台となる。

 忍者が活躍した時代と言えば、各国の戦国武将がしのぎを削り合う戦国時代が有名だが、江戸時代になってからも彼らの諜報能力は高く買われ、幕府も忍びたちを組織の中に巧妙に組み込んでいったのである。




 まず伊賀の忍びは、「伊賀組」として二百名が取り立てられ、麹町に屋敷まで与えられた。表向きは半蔵門の警備、大奥の警備という形であった。また甲賀の忍びたちは、殿中と正門の警備を任された。さらに、根来寺の僧兵たちも、その鉄砲の腕前をかわれ「根来組」として徴用された。

 また幕府には目付という役職があったが、忍びというよりも政治家のような活動が多かった。また紀州藩から徳川吉宗が八代将軍として、幕府にやってきたとき、十七名の者が紀州から帯同された。彼らが俗に「御庭番」と呼ばれるものたちで、将軍の直属で多くの探索を行った。

 御庭番の有名なエピソードといえば、蘇鉄問答がある。十一代将軍・徳川家斉が、薩摩藩の島津斉興と顔をあわせたときに、将軍が「そちの国屋敷の蘇鉄は見事である。検分したついでに葵の紋章が彫られた笄が埋めてあるので掘ってみよ」と言われた。仰天した島津斉興が、国許に連絡し蘇鉄の根元を掘らせると確かに、笄が埋められていた。この出来事に、周囲は御庭番の実力に恐怖を感じたという。




 なお、この御庭番は、伊賀組や甲賀組と違い、比較的出世したという事実がある。勘定奉行や遠国奉行に出世した者が七人もいるのである。村垣吉平家の四代目である定行は、遠国奉行、淡路守を歴任し、勘定奉行を15年も勤め上げた。キャリア官僚であった。また、川村修就は、御庭番からスタートし、遠国における隠密業務が評価され、初代新潟奉行に就任するのだが、隠密時代に新潟でアメ屋をやっていた為、今度の「お奉行さまは、アメ屋だ」と妙な評判がたった。

 また、各藩も幕府の諜報活動に対し、加賀藩「偸組」、仙台藩「黒脛巾組」と次々と組織し、これに対抗した。目付けの放つ隠密と各藩の雇った忍びたちの諜報合戦は江戸の封建社会の暗部であった。この争いは幕末で続き、特に薩摩、長州と幕府の諜報合戦は熾烈を極め戊辰戦争に遠因になっていく。謀略の積み重ねが、遺恨の発生に繋がったのだ。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像は『伊賀忍法帖 ブルーレイ [Blu-ray]』ジャケットより

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