昼は名士、夜は盗賊『ジキルとハイド』のモデル・ウィリアム・ブロディー





二重人格者の恐怖と苦悩を書いたホラー小説の古典、「ジキル博士とハイド氏」。高潔なジキル博士が薬品により自己の善悪を完全に分離させ、凶暴で醜悪な人物ハイドに変貌する術を身につけるものの、やがてハイドの人格に飲み込まれていき…というストーリーだが、実はこの話にはモデルになった人物が存在したというのだ。

その人物は18世紀のスコットランドにいた人物、ウィリアム・ブロディー

彼は非常に腕のたつ家具職人であり、石工のギルド組合長と市会議員を務める地元の名士であった。詩人のロバート・バーンズを始めとする有名人との交流もあったという。人格も高潔で人々に好かれ信頼されていた人物であったが、そんな彼にはとんでもない裏の顔があった。昼間こそ信頼の置ける実業家であり紳士だったのだが、夜になると盗みを働き、盗んだ金品はギャンブルに使っていたのである。




彼が悪の道に進んだのは27歳の時。1768年8月、優れた職人であった彼は市立銀行の鍵の仕事に携わる。その時密かに金庫の合鍵を作ることに成功した彼は密かに銀行から800ポンドもの大金を盗みだしたのである。それ以来、彼はワックスを用いて合鍵を作る技術を独自に編み出し、18年もの間多くの建物へ侵入しては大金を盗み出していたのである。

彼は情婦との間に5人の子供がいたものの、家族も友人らも誰も彼の「夜の顔」には気づかなかった。

そして1786年、彼は3人の窃盗犯と組んでスコットランド間接税務局本部の襲撃を試みる。しかし局員に発見され、仲間の一人が捕まってしまったことから彼の犯罪はようやく明るみに出たのだった。




ブロディーには死刑の判決が下され、絞首刑に課されることになったが、彼はここでも職人の腕前で乗り切ろうとする。縄で首が締まらないように鋼鉄製の襟と銀の輪を首に仕込み、衝撃を軽くするために首からかかとまで服の中に針金を入れたというのだ。さらに死刑囚が死亡したかどうか確認する医師を賄賂で買収して、刑に処された後すぐに蘇生措置をしてもらう手配を取り付けていたのである。だが、これらの試みは全て無駄に終わり、ブロディーは1788年10月1日にて絞首刑になったという。

さて、現地ではウィリアム・ブロディーの逸話は非常に人々に親しまれた物となっており、彼の姿を描いたパブの看板や像が存在したり、街の通りの名前にもなっている。もしエジンバラに旅行する時があった場合は、この町に立ち寄ってみても面白いのではないだろうか。

(田中尚 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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