スピリチュアル

「伝説・日本国内に残る《月着陸》跡地」

※以下は2019年9月の記事の再掲載です。

半世紀前の1969年7月、米国は月ロケット「アポロ11号」で人類初の月着陸を行ない月面に人類の足跡を残しました。

そのためには米国は膨大な国家予算を使いました。しかし、我が日本国の場合には一円の費用も使っていないにもかかわらず、国内に「月着陸跡地」があります。

四国の徳島県吉野川市美郷の山間部の集落「月野(つきの)」にそれはあります。

現地には吉野川市が設置した解説版もあるのですが、その昔、この月野から見える月夜が美しかったので、その夜空を見ようと、月が空から月野の地に降りてきたのです(伝説では当時の月野の上空には月が二個あった)。

この降下のときに、月が山の斜面に接触し、その場所が窪みました。

写真のスタジアム状に窪んだ地面が、月着陸跡です。

後に、この窪みの中央には「月読命」を祀った小祠が作られたのですが、昭和初年に村の広幡八幡神社に合社され現存しません。写真では中央のビニルハウスの下に黒いビニール袋が写っていますが、ここが、昭和初年まで小祠のあった場所です。また、ここに小さな池もあったのです。

その後、この着陸した月がどうなったのかは語り継がれていませんが、現在の月野の上空には月は一つしかありません。

まあ、地面に溶け込んで地球に同化したと考えるほうがロマンチックです。(すると、この周辺の石は無料で拾える「月の石」か?)

それにしても、月が円形ではなく球形であることを日本の庶民が認識したのは何時代からなのか?まさか、学校教育の普及した明治時代や大正時代に月がこの地に着陸したのであろうか……

(アトラスラジオ・リスナー投稿 匿名希望さん ミステリーニュースステーションATLAS編集部)