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海底宮殿の発掘がもたらした「クレオパトラ」の残された大きな謎

1996年、エジプトにあるアレクサンドリア沖の海底から、古代の遺跡が発見され大きな話題を呼んだ。アレクサンドリア海底遺跡、通称クレオパトラの海底宮殿と呼ばれるその遺跡は、詳しくわかっていなかった当時の状況を明確に表せるほどの多くの像や遺物が発見されたことによって、20世紀最大級の発見と言われている。

古代アレクサンドリアは、度重なる地震による地盤沈下や津波によって海に沈んだと言われている。かねてより、アレクサンドリア港には遺物と思われる漂着物がよく発見されていたというが、本格的な調査がなされることはなかった。それは、ナイル川上流から流れてくる土砂や堆積物による水質の汚染が原因であったという。視界が悪く、また潮流が荒れやすい地点でもあったために、まともな調査が入ることが無かったのである。


約2千年前のプトレマイオス朝の王宮跡とされる海底遺跡では、ローマ皇帝の像や小型のスフィンクス、花崗岩の石柱や素焼きの壺など多数の遺物がほぼ無傷で発見された。さらに、世界の七不思議の一つと言われていた「ファロスの灯台」やクレオパトラの宮殿の一部とされる「聖牛の奉納台」も発見されたのである。

クレオパトラ(正式にはクレオパトラ7世)は、プトレマイオス朝のエジプトの女王であることは、ほとんどの人が知るところであろう。「彼女の鼻が少し低かったら世界の歴史は変わっていた」と言われるほどの絶世の美女とも言われた人物である。(このことについては現在疑問視もされているが・・・)

この海底遺跡の発見は、彼女の実在性をより強く確実視させたものとしても重要な遺跡となった。

さて、このような海底遺跡によって、クレオパトラにまつわる多くの発見もなされたが、同時に大きな課題を残すことにもなった。それは「クレオパトラの墓」の問題である。歴史上の人物にはよく聞かれる話であるが、クレオパトラもその遺体や墓と言われるものがいまだに見つかっていない。




アウグストゥスの宣戦布告によってエジプトが制圧される中、アントニウスはクレオパトラ自殺の誤報を受けて自殺、クレオパトラ自身もアウグストゥスへの屈服を拒み、毒蛇で自殺したと言われている。一説には、彼女はミイラにされて埋葬されたと伝わっていると言われている。

近年では、エジプト北部の「タップ・オシリス・マグナ神殿」の地下に全長1,300メートルにも及ぶ洞窟が発見され、クレオパトラが埋葬されている可能性が高い遺跡として注目されて、現在も発掘が続いている。そして一説には海底神殿こそが、クレオパトラの埋葬に関する何らかのヒントも残しているのではないかとも考えられているのである。

クレオパトラの墓が発見される日は、そう遠くないのかもしれない。

【参考記事・文献】
クレオパトラとは?歴史から人物像まで分かりやすく解説!
https://www.urarekishi.com/2021/10/cleopatra.html
クレオパトラ宮殿が眠る海底は竜宮城…ではなく泥沼だった
https://www.sankei.com/article/20161117-25ZECRKOQJKPJJKGGPGSSNJWE4/
クレオパトラの墓?紀元前築とは思えない「精巧な巨大トンネル」を発見!
https://nazology.net/archives/117968

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(ナオキ・コムロ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像 Boxoffice Photo from 20th Century Fox, producer of the film. – cover Boxoffice September 30, 1963., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=58085606による