「御稚児墓山の情報について」(後編)

(前編より続く)この話の後、投稿者の祖父は祠の場所をもっと山の中へ移動させ、この話はおわります。他にも後日談はあったのですが(忘れている事もあるかも…)、私の興味が他に移った為、話を聞かなかったのでここまでです。

この家では?と疑っている理由は、敷地の庭は砂利と土の部分に別れている~知り合いの大工から、古い家や倉庫を取り壊した跡地は砂利を敷いておくとよいそうなのです。土地の一部が沈下しても砂利を追加すると落ち着くと聞いています。

話を聞いた当時、道路を隔てた山側にはこの家以外には民家はなかった。新築中の家が二軒ほどで、本来寺がある場所では?と言う場所にこの家が建っていた事(お墓に行く道がある)。もし、この家の事であれば内容が大きく変わっており、大変危険であると思われます。

凸したい人達へ警告するために情報を提供しようかとも思いましたが、やぶ蛇になってもと思い悩んでおりました。

この話が、お役にたてば幸です。

次の話ですが、夜な夜な来る者の正体を語った話として聞いた物語です。

秀吉に攻められた城の城主は、自分達の国は勝つが…この城は駄目だろうと思い、息子を人質の名目で毛利氏へ渡します。
(人質は必要なしと言われていた)その時に、この男が居ればこの城は大丈夫と言われていた家臣を息子の護衛としてつけます。

勿論、家臣は不満を言います。しかし城主の覚悟を悟った家臣は、息子を必ずこの城の城主にすると誓い城をあとにします。毛利氏は人質にする気はありませんから、息子と家臣を寺にあずけ戦が終われば帰ってよいと伝えていました。

暫くは何事もなく過ぎましたが、ある日状況は一変します。秀吉の軍勢に襲われ、寺から逃げ出さねばならなくなったのです。

その時、家臣は増兵達と逃げるように城主の息子に話しますが、親しくなった子供達を見捨てられない 一緒に逃げると言い出します。問答する間も惜しい為、城主の息子の言う通りに子供達と一緒に数人の増兵と落ち延びようとしますが、途中秀吉の兵に追いつかれて何度か戦います。

山道での戦いで鎧を着ている為、1度に1人、2人の相手で済み少人数でも子供達を守りながら逃げる事ができたのです。
家臣は自分だけがキチンと鎧を着けていた事から殿をかって出て戦っていた。

しかし、秀吉の軍勢の中から秀吉直轄の軍勢数百(200人位か?)が子供達の方へと押し寄せていたのです。

(この戦いには、普段から秀吉が目をかけている若い衆が参加しており、秀吉から手柄をたてれば抜擢すると約束されていた)




子供達を守ろうと家臣が奮戦していた事と、切り捨てた中に秀吉から目をかけられていた若い衆が5人程(いずれも剛の者と思われていた)いた事から、こちらが本隊だと勘違いされたのです。

険しい山道を執拗に追い縋る秀吉軍、途中少し開けた場所で秀吉軍に追い付かれます。

家臣は秀吉軍の兵に切りつけますが、上手に避けられて側にあった岩で刀を折ってしまいます。それを見た秀吉軍の兵は家臣の両脇を走り抜けてその先へと行こうとします。

が、家臣は走り抜けようとする兵の鎧をつかみ邪魔をします。鎧兜を着けている為直ぐに殺せない秀吉軍の兵は、家臣の片腕を切り落とします。

それでもなお残った腕で追いすがり秀吉軍の邪魔をします。家臣の残った腕も切り落とされ秀吉軍の兵は子供達へと殺到…。数人の増兵達も奮戦しますが、子供達共々切り伏せられてしまいます。その様子を見るしかなかった家臣は、秀吉軍の兵に罵詈雑言をあびせます。

秀吉軍の兵もあてが外れた為、意気消沈していましたがあまりの言われように怒り家臣の首を跳ねます。その時になって家臣の鎧兜が雑兵の物ではなく、上質の物を着けている事に気付き手柄になるかもと、首と切り落とした腕を持ち帰ります。

首と切り落とした腕を持ち帰った兵は手柄と認められ出世します。戦が終わる頃に、この家臣の家族が首と切り落とした腕を返して欲しいと言ってきます。戦場となったやまで遺体を見付けたが、首と腕が無く揃えて弔ってやりたいからとの申し出だったそうです。しかし、秀吉はこの家臣に腹をたてており憎々しく思っていた為、首と腕を返さずに「こちらで手厚く葬った」と話し家族を帰します。

家族は、「敵将を手厚く葬った等と聞いた事がない。」と言って返しては貰えないのだと諦めて帰ります。秀吉は陣屋の側に住む村人に、首と腕と大金を渡して「誰にも渡さないように持っていろ」と付け加えます。

秀吉がこの国を治める様になって暫くして、村人が血相を変えてあらわれます。夜な夜な来る者が現れ怖くて寝ていられないと話すのです。

詳しく話を聞いた秀吉は、手と足を打って大喜びをします。

「奴のせいで部下を失い、国を治めるのに人が足りず難儀をしており、奴に対して腸が煮えくりかえっておるところじゃ」「死してなお苦しめる方があるとは、これはよいその首と腕を誰にも渡さないように」と念を押して、金を渡して村人を帰らします。

≪この武将の家族が山で遺体を見付けた後、下山する時の話ですが~首と腕が無いのに遺体は重く鎧を外してみてもまだ重くて何度も何度も休んでは運ぶのを繰り返していたため、麓の村に着くのがいつになるか分からない状況だったそうです。途中寺を見つけて(そこで動かせなくなったと言う話しも…)、その寺に墓を造り弔って貰う事にしたそうです。

暫くして、山に大雨が降り寺の裏山から鉄砲水がでて境内が川の様になったそうです。

雨が上がった後に寺の者が境内を調べたところ、武将の墓の場所だけが地面までえぐれており墓石も骨も一つも見つからなかった為、家族は遺品を墓に入れ墓石も造り直して貰って供養しなおしたそうです。≫

夜な夜な来る者は、それから10日程経った頃から現れ始めたとの事。

夜な夜な来る者とは、この武将の事だと子孫の家では言っているそうです。話し的にまとまり過ぎているため、作り話しと思えるのですが…この話しも当時に聞いたはなしです。

略図ですが地図を付けます。家の場所と、墓の話の状況です。

 

家の方は、AかBどちらからしか目的の家に行けなかったと思います。地図は北、南等の方位は分かりません。図面上からの迂回路有ります。下は不明です。

夢に出てきた豊臣秀吉、内線で呼ぶ亡くなった祖父 ATL3rd 266

(山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像 Marc Bach / PIXABAY

 

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