国も人生も狂わせた!!楊貴妃の恐るべき美の秘訣!?

爽やかなマリンブルーの色したカクテルの名前にもなった楊貴妃は傾国の美女として知れ渡っている。6月生まれの楊貴妃は7月に非業の最期を遂げており、貴妃となったのは8月だった・・・これらの月はちょうど楊貴妃が大好物だったライチが旬の季節でもある。

夏と言えば、楊貴妃の季節でもあるのだ!四季の中でも最も開放的になりやすい季節だが、盛り上がった分あっけなく終わってしまうイメージも・・・楊貴妃の人生も夏のごとし。

玄宗から多大なる寵愛を受けていた楊貴妃だったが、才色兼備で財と名誉に恵まれたようでいて実は波瀾万丈な結婚生活だった。玄宗と武恵妃の子・寿王李瑁と結婚していたが、武恵妃が亡くなってからは玄宗に寵愛されるようになった。体面上、女道士となった後は玄宗の貴妃にされた。

目に入れても痛くないくらい玄宗から溺愛されたようであったが、玄宗の怒りを買ってしまい楊家の屋敷に帰されたこともあった。だが間が経たないうちに玄宗は、仕えていた高力士に楊貴妃を連れ戻させていた。しかも1回きりのことだけではなかったそうだ。




なんとも人騒がせだが、後に起きた本当の悲劇はこんな可愛いものではなかった!玄宗が楊貴妃に夢中になっている間に楊家がのさばるようになり、楊国忠安禄山(楊貴妃の養子)が対立して安史の乱(755~763年)にまで発展してしまった!!

安史の乱が起こった翌年756(天宝15)年、満37歳になった楊貴妃は高力士により縊死させられた。直接関与したわけでもない楊貴妃を玄宗はかばっていたが、力及ばず最早お手上げ状態だった・・・

そんな悲劇の絶世美女である楊貴妃には数々の伝説が残っている。中でも二尊院(山口県)の境内には楊貴妃の墓と呼ばれる五輪塔があることから、実は逃げ延び日本で亡くなっていたという説が浮上している。

かつて昭和の日本を盛り上げた大御所アイドル・山口百恵の先祖はなんと楊氏だった。山口自らが楊貴妃の末裔だと思い込んでいたそうだ!楊貴妃とも血縁関係があったかもしれない可能性は否定しきれない・・・

関連動画
【ゆっくり歴史解説】傾国の美女『楊貴妃』非命に倒れた絶世の美女の末路!日本に来ていた…?

さて楊貴妃の魔性の美貌の秘訣は、瑞々しく香しいライチを食べていたからだったのだろうか・・・もちろん他にも美容に良いものを摂取していたとされているが、都市伝説かと思ってしまうような驚くべきものを愛飲していた!!

なんと女官の母乳を毎朝牛乳代わりに飲んでいたそうだ。それだけではない!若い女の生き血まで飲んだとも言われている!!

おぞましいとも言える美への執着だが、かの中国三大悪女と呼ばれた西太后にまで受け継がれたそうだ・・・

楊貴妃の儚げな美しさに相反するダークなイメージ像が浮上してしまった!!政治的な混乱は楊貴妃のせいとも言い切れない感は否めないが、さすが国を傾かすだけの美女と呼ばれただけの何かがあったと言えるだろうか。

(ふりーらいたー古都奈 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

参考サイト

FCNT 2021年8月19日版 今日のクイズ
世界史の窓 世界史用語解説 授業と学習のヒント 楊貴妃
NEWSポストセブン 楊貴妃 若さを保つため母や若い女の生き血を愛飲した
jp.eastday.com News 山口百恵さんは浙江楊氏の末裔――最新の調査で判明

画像 ウィキペディアより引用

 

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